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光が強ければ影も濃い~映画「ルース・エドガー」 [映画時評]

光が強ければ影も濃い

~映画「ルース・エドガー」

 

 いかにもアメリカ人らしい名を持つルース(ケルヴィン・ハリソンJr)はしかし、白人の両親と違う肌の色をしている。戦禍のアフリカ・エリトリアで生まれ7歳の時、移民としてエドガー一家に引き取られた。養母エイミー(ナオミ・ワッツ)、養父ピーター(ティム・ロス)の支えで心的障害を克服、模範的な高校生に育ったかに見えた。弁論大会で優秀な成績を収め、陸上部ではキャプテンを任されるなどすべての面で優等生で、バラク・オバマの再来と期待する声も聞かれ始めた。

 そんな彼をめぐって一つの事件が起きた。アフリカ系の歴史教師ハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー)から求められたリポートで、アルジェリア独立戦争を率いた革命思想家フランツ・ファノンの言葉を引用、暴力を肯定したのだ。一方で、同級生への性的暴行の疑惑が持ち上がる。優等生の顔は仮面だったのか。果たして彼は何者なのか…。

 ルースと養父母、歴史教師、高校の校長らが打開策を話し合う中で(確かウィルソンの言葉だったと思うが)「アメリカが箱に押し込める。狭くて汚い箱に」と叫ぶ。もちろんこれは人種のるつぼアメリカで、なくそうとしてなくならない差別構造をまずは指すが、おそらくそれにとどまらない。

 ルースは白人夫婦によって人道的な愛に包まれ、このうえない手当てによって成長した。しかし、それでもなお、埋まらない精神的な空白があった。少年期を過ぎ自立志向が強まる中で、それが無視できない精神の位相を形成するに至ったのではないか。言い換えればそれは「アメリカ」で代替できない、アイデンティティの欠如に由来するものではないか。

 「ルース」はイタリア語のLUCE(光)を英語読みした。養父母が彼に託した希望が現れている。しかし、光が強ければ影も濃い、という。そんなことを思わせる。

 結局、ルースは彼自身に忠実に生きることで解決策を見出していく。

 心理的な葛藤を描いたヒューマンドラマとしては予想より内容の濃い作品。しかし、その分、戦争や差別、貧困、テロリズムといった社会派の側面が描き足りないように思えた。2019年、アメリカ。

 

ルース.jpg


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