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ヨーロッパ統合の先行事例を読み解く~濫読日記 [濫読日記]

ヨーロッパ統合の先行事例を読み解く~濫読日記


 「ハプスブルグ帝国」(岩﨑周一著)

 

 カタルーニャで、スペインからの独立の機運が高まっている。スペインではかつてバスク独立運動があったが、一定の自治権を認めたことで運動は沈静化しているようだ。ヨーロッパではこのほか、バルカン半島などでも民族と国家の不一致による軋轢が生じているし、スコットランド独立をめぐる住民投票で独立反対派が辛うじて勝利したのは記憶に新しい。

 ヨーロッパが揺れている。東西冷戦の終結以後、その印象が強い。しかし、世界史を俯瞰してみると中世以降、西欧文明を形成してきたのはヨーロッパであることが分かる。いまアメリカは世界の覇権国家となっているが、「近代文明」はヨーロッパにより形成されてきた。

 世界はどこに向かおうとしているか。そのことを考えるうえでも、ヨーロッパの現在位置、ヨーロッパのアイデンティティーを確認する意味は大きい。

 そんな時、この「ハプスブルグ帝国」を読んだ。中世ヨーロッパで広大な版図を持った神聖ローマ帝国の誕生は962年、ローマ教皇によるオットー一世の戴冠であった。以来、神聖ローマ帝国は1648年のウエストファリア条約によるフランス、スウェーデンの独立などを経て1918年の第一次大戦終結まで存在した。神聖ローマ帝国(君主国)は1000年近く続いたが、神聖ローマ帝国後の世界は、まだ100年を経過したばかりである。そのうち50年近くは東西冷戦下、ヨーロッパ分裂の時代だった。

 一般に、ウエストファリア条約は国民国家誕生の契機となったとされる。宗教的理念ではなく、国民による国民統治の時代の始まりであり、軍隊や官僚制の保持が国家を形成するとされた。しかし、ここで大きな疑問がわく。神聖ローマ帝国がその後270年も存続しえたのはなぜか。

 著者はここで、この間を従来言われたような「絶対主義」の時代ではなく、緩やかな「皇帝を盟主のかたちにした諸邦の連合体」というかたちであったと規定する。ウエストファリア条約は神聖ローマ帝国の「死亡診断書」ではなかった。言い換えれば17世紀以降の神聖ローマ帝国は、強大な権力による抑圧の時代ではなく、民族、文化の共存共栄の時代ではなかったか、というのが著者の見解である。これは、読む者に「目から鱗」の感慨を覚えさせる。こうした認識のもと、爛熟、耽美、頽廃とされてきたハプスブルグ君主国の文化を、「活気と刺激に満ちた創造的なムーブメント」と読みかえる。

 第一次大戦の引き金となったのは神聖ローマ帝国が形を変えたオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者暗殺事件だった。このオーストリア・ハンガリー帝国についても「複雑な問題を解決する方法として、その後に出てきたいかなる政府よりも優れていると思われる」というジョージ・ケナンの言葉を紹介する。この「ハプスブルグ帝国」でも、ウエストファリア条約の締結に先立ち、フランス王アンリ4世の重臣シュリが、ヨーロッパを15の国家が対等に並立して構成する連合体とし、各国代表からなる評議会にその運営をゆだねるという構想を提示していることを紹介する。これは、現在のヨーロッパのかたちと驚くほど酷似している。

 かつて否定的な概念としてとらえられた「帝国」を、多様な国、地域、民族を包含する超越的な政治的枠組みに置き換えれば、ヨーロッパの安定と平和に寄与する先行事例ととらえられないか。書のタイトルを「ハプスブルグ家」ではなく「ハプスブルグ帝国」とした著者の思いもここにあるようだ。そしてこうした歴史観は、まぎれもなく東西冷戦の終結=マルキシズムの世界的後退によって生まれたものだと見ることもできよう。

 講談社現代新書、1000円。

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

ハプスブルク帝国 (講談社現代新書)

  • 作者: 岩崎 周一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/08/17
  • メディア: 新書
 

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