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最後の大逆転が見もの~映画「手紙は憶えている」 [映画時評]

最後の大逆転が見もの

~映画「手紙は憶えている」



 老齢のクリストファー・プラマー演じるゼブ・グットマンが、アウシュビッツで家族を殺されたナチへの恨みを晴らそうと、北米各地を彷徨する。きっかけは高齢者施設で出会ったマックス・ザッカー(マーティン・ランド―)。ゼブと同じく、家族を殺されたというマックスは脳こうそくで車いす生活。そこでゼブに、恨みを晴らしてくれるよう依頼する。すでに相手はほぼ特定されている。戦後、「ルディ・コランダー」の偽名で米国に亡命した。該当者を4人まで絞り込んだリストを、ゼブに託す。しかし、ゼブはこのとき重度の認知症で、1週間前に妻が死んだことさえ、覚えてはいなかった。そこで、マックスは内容を細かく手紙にしたためる。

 追っている男の本名は「オットー・ヴァリッシュ」であることも分かっている。ようやくカナダで突き止めた4人目の男がそうらしい。男がロビーに降りてくるまでの間、ゼブはピアノに向かった。昔、手ほどきを受けたことがある。彼が弾いたのは、あのヒトラーが好んだワグナーだった―。

 ここから、アウシュビッツで家族を殺された恨みを晴らす、という全体の構図が大逆転する。ゼブが捜し当てた男はオットー・ヴァリッシュではなく、クニベルト・シュトルムだと名乗った。しかし、ナチでありアウシュビッツにいたことも間違いないという。では、オットー・ヴァリッシュはどこにいるのか。男とゼブの腕には、アウシュビッツの収容者であったことを示す囚人番号の刺青。それは一番違いだった。

 ここからは、書けない。書いてしまったら、映画を見る価値が半減する。

 なかなか良くできた脚本である。クリストファー・プラマーと、元ナチの老人を演じるブルーノ・ガンツ(「ヒトラー最期の12日間」でヒトラーを演じた)の対決も重厚で見ものである。しかし、作品としては一抹の軽さを感じる。重度の認知症であるゼブが北米大陸を自在に捜し回れる不思議さ、組織的な殺戮工場であったアウシュビッツで、収容所内の特定のブロック責任者にのみ殺意が向けられることなどが原因としてあげられる。

 しかし、まあそんな小難しいことはいわずに、と思えば、なかなかに引き込まれるドラマである。2015年、ドイツ・カナダ合作。

手紙は憶えている.jpg


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