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対米追従をどう転換させるか~濫読日記 [濫読日記]

対米追従をどう転換させるか~濫読日記


「戦後政治を終わらせる 永続敗戦のその先へ」(白井聡著)

戦後政治を終わらせる.jpg 緊張感なき参院選は与党の大勝に終わった。しかし、自民党にとって見れば、単純に喜べない不気味な予兆が裏側に潜む。この国の矛盾がマグマのようにたまった沖縄と福島(すなわち政治的辺境の地)では、ともに現職閣僚が落選し、TPPへの怒りが渦巻く東北では、秋田を除いていずれも野党が一人区を制した。
 原発、基地、TPP。この政策的矛盾はどこから来るか。キーワードは米国に対する盲目的服従である。表面的には平穏に見える日本の政治状況は、対米追随に対する怒りのマグマを抱え込んでいる。この政治は転換可能なのか。
 この問いの答えを示唆するのが、この一冊である。
 白井は「永続敗戦論」で戦後日本の政治状況を総括し「敗戦の否認」と「対米追従」という二律背反的なテーゼをひき出した。そこから見える日本の基本的な構図は、冷戦下の軽武装と経済優先主義による経済大国への邁進であった。そのことを可能にしたのは、日米安保体制である。
 しかし、冷戦は25年も前に終わった。
 にもかかわらず、日米安保体制を基軸にした対米追従路線はいまだに続く。なぜか。どうすれば、そこから抜け出せるのか。
 白井はまず、あの戦争が一億総ざんげ=一億総被害者として語られることで、加害と被害の両面を見るという作業がおろそかにされ、結果として加害と被害の問題は一部の知識人を例外として歴史意識の中に定着することはなかったとした。日本は「経済大国」へ突き進み、逆にいえば経済大国としての成功が「敗戦の否認」という歴史意識を可能にしたという。こうして日本は、アジア諸国に対しては「敗戦」の事実を曖昧化し、米国に対しては「敗戦」を無制限に認めることで対米従属を強めた。
 そのうえで白井は対米従属の構造は三時代に区分できるという。すなわち、占領期から60年安保ごろまでの「確立の時代」、冷戦終結までの「安定の時代」、そして冷戦後の「自己目的化の時代」。第一、第二の時代には、対米従属は少なくとも「手段」であったが、いまや「目的」と化すという「摩訶不思議」なことが起きているという。
 では、対米従属からどのように脱却するのか。著者は経済的側面と軍事的側面の二つを挙げる。経済から見た最近の米国の理不尽な対日要求の最たるものはTPPであろう。著者は触れてはいないが、日米原子力協定もこのカテゴリーに入るのではないか。
 軍事的側面とはもちろん、日米安保協定であり基地の存在である。ここで対米従属を変えるには、日米安保体制を変えるしかない。大国・米国の凋落が明らかな今、これは当然検討されるべきことだが、現下の日本でそれが語られているとは思えない。しかし、これは不可避の課題であろう。では、対米従属ではない安保体制とはいかなるものか。
 60年安保では、日本への防衛義務(かなり曖昧な形ではあるが)を加える代わりに極東条項が付加された。しかし、今その対象(=仮想敵)となるソ連は存在しない。では、米軍は何のために日本に駐留するのか。ここから、日米安保の転換点は見えてくる。白井はここで、かつて鳩山由紀夫や小沢一郎が唱えた有事駐留論を「的確」と評価する。
 いずれにしても、日本の今後を考えるうえでこのポイントは外せない。しかし、白井が言う通り「あれほど無責任な戦争をやっておいて、何の総括もしていない指導層に系譜的に連なる支配者が安全保障について語ったところで、まったくリアリティーが欠けている」のも事実である。その結果、国民には、安保問題に対する忌避反応が本能的にしみついている。だとすれば、戦争の総括からきちんと始めなければならない。安倍首相の言う「戦後レジーム」ではなく、まっとうな意味での「戦後レジーム」から脱するために。


NHK出版新書、820円(税別)。初版第1刷は2016410日。著者は1977年、東京生まれ。社会思想、政治学。京都精華大人文学部専任教員。著書に「永続敗戦論―戦後日本の核心」など。


戦後政治を終わらせる―永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書 485)

戦後政治を終わらせる―永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書 485)

  • 作者: 白井 聡
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 新書

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