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「核」が招いた人権侵害の戦後史~濫読日記 [濫読日記]

「核」が招いた人権侵害の戦後史~濫読日記


「核の戦後史」(木村朗+高橋博子著)

6-29-2016_001.JPG 5月27日、オバマ米大統領が広島を訪れて17分間の「所感」を発表した。「71年前、空から死が降ってきて世界は一変した」と語り始め、メディアはこぞって絶賛した。オバマスピーチはそれほどのものだったのだろうか。その疑問は後日、このブログで触れるとして、この機会に核を基軸とした日米の戦後史に思いをはせることは意義あることであろう。
 そのための一冊として推奨するのが、この「核の戦後史」である。全体は2部に分かれ、第1部は木村朗・鹿児島大教授、第2部は高橋博子・明治学院大国際平和研研究員が受け持つ。第1部は原爆投下から終戦に至る経緯、第2部は戦後の日米「核体制」ともいうべきものの形成過程を記述した。Q&Aの形をとり、極めて理解しやすい。同時に、これまであやふやなまま歴史的事実として語られてきたさまざまな言説を批判、修正を加えている。
 米国では今なお、原爆投下によって日米数百万の人命が救われたとする「原爆投下正当化論」が半数を超すという。木村教授はこれに対して丹念に事実を積み重ね、嘘を暴き出す。原爆投下はまず、人類史上最強の兵器が開発されたことに対して「人体実験」の欲望が根底にあったこと、戦後の米ソ2強体制をにらみ、ヘゲモニー確立を狙ったことなどがあげられる。そのうえで、日本に降伏を迫るポツダム宣言は、正式な外交チャンネルでなく短波放送で伝達されたこと、文書にソ連の署名がなかったこと、天皇制容認条項が削除されたことなどを挙げ、日本の降伏先延ばしのための政治的思惑が働いていたことを明かしている。
 それはなぜか。もちろん、原爆投下の可能性を引き出すためである。日本の降伏のために原爆を使うのであれば事前警告もあり得たし、威嚇のための核実験もあったはずである。しかし、そうした配慮はないまま原爆は投下された。ポツダム宣言が出る1日前(7月25日)に出された原爆投下命令書(この事実からも、降伏を促すための原爆投下ではなかったことが分かる)によると、作戦は日本が降伏するまで続けられる予定で、すでに3発目を東京に落とす準備が進められていたという。
 米国の行為は「戦争を終わらせるため」などという美名のもとで語られてはならない。
 福島原発事故では広島、長崎の経験がほとんど役に立たないことが明らかになった。特に、放射線の内部被曝については、その研究の集積がほとんどないことが分かっている。なぜこんなことになったか。第2部はこうした戦後史の裏面に光を当てた。
 米国は原爆投下の直後から、放射能の人体への影響を認めてこなかった。米国紙記者バーチェットが投下後も被爆者が死んでいく実態を伝えたが、即座にGHQから取材禁止命令が出された。なぜか。不要な苦痛を与える兵器と定義されれば、生物化学兵器と同様、戦争で使えなくなるからである。こうして被爆者の惨禍は闇に葬られ、日本政府も正面から抗議することをしてこなかった。ビキニ環礁の水爆実験で起きた第五福竜丸事件(1954年)でも、このことは変わることはなかった。
 こうして日本人は3度の放射線「被曝」をしながらその体験を科学的に生かすことができなかった。その事実が逆に核兵器と原発が戦略的に同根のものであることを浮かび上がらせた。歴史の皮肉であろう。「戦後再発見双書」シリーズの一冊。

 創元社刊、1500円(税別)。初版第1刷は2016年3月10日。


核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実 (「戦後再発見」双書4)

核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実 (「戦後再発見」双書4)

  • 作者: 木村 朗
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2016/03/03
  • メディア: 単行本

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