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テレビ初期の苦闘と志~映画「アイヒマン・ショー」 [映画時評]

テレビ初期の苦闘と志~映画「アイヒマン・ショー」


 タバコ会社の宣伝のため買収されたCBSラジオがニュース報道に乗り出したきっかけは、第2次大戦のときヨーロッパ総局長だったエド・マロ―がナチスのオーストリア併合やロンドン空襲のもようを迫真的に伝えたためだったとされる。ラジオがライブ放送に初めて使われた。当時、ニューメディアであったラジオを宣伝工作に使い、政権を握ったといわれるナチスに対抗して米国がラジオの可能性を切り開いた瞬間だった。
 輝かしい成果を上げて帰国したエド・マロ―をホワイトハウスの主フランクリン・ルーズベルトが招待、ヨーッロッパ戦線の情報を仕入れようとしたところ、ある事件のため延期されたというエピソードが、D・ハルバースタム「メディアの権力」で紹介されている。「事件」とは、日本軍による真珠湾攻撃のことである。
 それから20年後、イスラエル情報機関モサドによってアルゼンチンで逮捕されたアドルフ・アイヒマンの裁判がエルサレムで開かれる。この時、ラジオではなくテレビが「ニューメディア」であった。この情報ツールをどうニュース報道に生かすかが問われた。
 先に公開された「顔のないヒトラーたち」(2014年、ドイツ)は、19581963年のフランクフルトを舞台に、当時ほとんど知られていなかったアウシュビッツの犯罪を法廷で問うた若い検事の悪戦苦闘を描いた。ドイツ国内でさえそんな状況だった。世界でどれほどアウシュビッツが知られていたか。
 米テレビプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)は、アイヒマン裁判の全世界への中継を企てる。監督には、当時マッカーシズムの標的とされていたドキュメンタリー監督レオ・フルビッツ(アンソニー・ラパリア)を起用する。法廷内のカメラ配置など障害を克服し、テレビ中継は現実のものとなるが、一つの問題が生じる。アイヒマンをどう撮るか、二人の決定的な違いである。フルックマンは法廷の模様とともにナチのホロコーストの全容を伝えようと主張するが、フルビッツはアイヒマンという「人間」に迫ろうとする…。
 フルビッツのとらえ方は、ハンナ・アーレントが「イェルサレムのアイヒマン」で明らかにした「凡庸な悪」というアイヒマン観に近い。決してモンスターではなく、どこにでもいる人間である。彼を、これだけの犯罪に駆り立てたものは何か。フルックマンはそうした信念に基づき、来る日も来る日もアイヒマンの表情を狙うが、無表情のまま罪状を否定し続ける。そこにアイヒマンの心の闇の深さを感じ焦り始める…。
 4カ月に及ぶ公判の映像は37カ国に送られ、世界的な反響を呼ぶ。テレビ初期の報道に携わった人たちの苦闘と志が伝わる一編である。一方でこの映画にもろ手を挙げて賛成しがたいのは、かつてナチが映画やラジオを宣伝工作に利用したのと同様に、イスラエルもまたテレビを政治宣伝に利用したのではないかという一抹の懸念が残るためである。各所にユダヤ人虐殺の実写フィルムが挿入されているが、あらためてその凄まじさに息をのむ。2015年、イギリス。

アイヒマン.jpg


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