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日常の「危険水位」を描く~映画「恋人たち」 [映画時評]

日常の「危険水位」を描く~映画「恋人たち」


 直木賞作家・神吉拓郎の短編集「私生活」に「警戒水位」という一編があった。既に手元にはないので記憶に頼らざるを得ないが、ある男が会社のカネ3千万円を持ち逃げしようと考える。あれこれ空想をめぐらすうち、海沿いの小さな町の小料理屋の女将と暮らそうと思う。しかし、ふと現実に帰った男は、そのカネをきちんと会社に持ち帰る…。日常からの脱出という落とし穴が、気づかぬうちにぽっかりと足元に黒い口を開けていた、という物語である。「幸い」というべきかどうか分からないが、男はそこからの「もう一歩」を踏み出すことはなかった。
 橋口亮輔原作・脚本・監督の「恋人たち」を観て、この短編が頭に浮かんだ。描かれたのは3人の男女の日常である。それぞれに「傷」を持ち、それが憤怒や虚しさやあきらめへと向かわせ、ある日突然口を開けた非日常への亀裂に吸い寄せられていく。しかし、それぞれに「あと一歩」を踏み出すことはない。それでも人間は生きざるを得ないのだ。「警戒水位」というよりもっと進んだ「危険水位」というべきものが、残影として観る者の心を支配する。
 アツシ(篠原篤)は橋梁点検を仕事にしている。ハンマーでコンクリートをたたき、耳で欠陥を探り出す。機械よりも正確だと、現場では言われている。彼は数年前、妻を通り魔殺人によって失った。平凡なサラリーマンだった彼の生活はそれ以来うまくいかない。健康保険の支払いにも困っている。貧しさの中であちこちから蔑視されるが、辛うじて耐えている。だが、それももう限界だ。
 瞳子(成嶋瞳子)は郊外で、夫と姑の3人暮らし。夫とも姑とも隙間風が吹いている。ある日、パートの帰りに出会った男と関係ができる。男は、養鶏を一緒にやろうと誘い、いくらか都合がつかないかと持ち掛ける。味気ない日常に別れを告げようと、彼女は男のアパートに向かうが…。
 弁護士の四ノ宮(池田良)は完全主義者。同性の恋人と高級マンションに住むが、いつも威圧的に接している。彼には大学時代に付き合っていた男友達がいたが、ちょっとしたことで誤解を招き、関係がぎくしゃくする。
 「当たり前」と思っていた日常が壊れそうになったとき、人はどうするか。あえて一歩を踏み出し、新しい境地へと向かうのか。それとも、「かけがえのない」日常に戻っていくのか。それぞれに「危険水位」に立った男女の、心の揺れを映し出した作品である。テーマは「日常」そのものであるから、演技、せりふ、振る舞いがどれほど生っぽくスクリーンに定着しているかが問われる。その意味では、成嶋瞳子の演技は目を見張る。

 
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