「対米自立」と「沖縄」を見ていた~濫読日記 [濫読日記]
「対米自立」と「沖縄」を見ていた~濫読日記
「岸信介証言録」(原彬久編)
「岸信介証言録」は中公文庫。税別1200円。初版第1刷は2014年11月25日。原彬久は1939年生まれ。東京国際大名誉教授。日本政治学でのオーラルヒストリーの先駆者。国際政治学、日本政治外交史。 |
原彬久には「岸信介 権勢の政治家」(岩波新書)という一冊がある。1995年に書かれた。原は、これに先立って1980年暮れから1年半、20数回に及ぶ聞き取りを岸から行っている。その成果は前掲の書のほか2003年、「岸信介証言録」として毎日新聞社から刊行された。これを底本としつつ、2014年に再刊行されたのが、この中公文庫版である。この10年間に何があり、何がこの書を再刊行させたか。いうまでもなく、この10年の間に重大な安保環境の変化があり、それがこの書を再び世に出したのである。
サンフランシスコ講和条約が締結された日、吉田茂はもう一つの条約に一人サインしたと言われる。「占領時代」を終えてなお、好きなところに好きなだけ米軍基地をつくることができる、という安保条約である。そこには、基地がおかれた日本に対する米国の防衛義務さえ書かれていない。占領時代をそのまま延長したような条約であった。それは1960年、国民的な反対運動のうねりの中で改定された。首相は岸信介であった。
原は、インタビューの眼目を二つ挙げている。安保改定の舞台裏について当事者の肉声を聞くこと。もう一つは、怪物とも称される政治家岸信介の実像をどう結ぶかの手掛かりを得ること。
安保改定に際して岸が目指したのは、片務的内容をできる限り相務的にすることであった。その先には、自衛力の増強があった。安保が当初、なぜあれほど片務的であったかといえば、自衛力と相互協力体制の不備が背景にあったことは容易に考えられる。岸はいったん、「日本国施政権下での危機に対する共同対処」を盛り込み、その先に相互協力体制(つまり集団的自衛権)を見ていたことは確かであろう。その文脈の中で、専守防衛の枠内での核装備さえ構想している。岸はその一方で、沖縄への目配りを忘れていない。岸は、占領体制の一掃による日米関係の対等化を考える中で、安保改定と沖縄問題をあげているのである。岸は1957年に訪米、ダレスやアイクとの会談で沖縄への日本の潜在主権を認めさせている。
岸の対米観は複雑である。マッカーサーや東京裁判に対する憤怒を抱えつつ、「日本国民に対する戦争責任はあるが、アメリカに対する戦争責任があるとは思っていない」という。
政治家岸を見るには、彼の人物評を手掛かりにするのがいい。宮沢喜一は首相は務まるが自民党総裁は務まらないとか、田中角栄は首相にするには教養が足りない、などとそれなりに的を射ている。三木武夫は「世の中で一番嫌いな奴」といい、池田勇人や佐藤栄作のライバルだった河野一郎には、政治家としてではなく人間的に高評価を与えている。このあたりに、岸の人間観を見ることができよう。
岸は岸なりに戦後日本の姿を描いていた。しかし、現在の安倍政権はその表面だけをなぞっているようだ。もっとも大きな違いは沖縄への目配りであり、対米自立の追求の欠如であろう。
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