SSブログ

チェチェンの戦禍こそ主役~映画「あの日の声を探して」 [映画時評]

チェチェンの戦禍こそ主役~映画「あの日の声を探して」

 モスクワでのテロ事件を契機として1999年、第2次チェチェン紛争が起きる。ロシアとチェチェンはソ連崩壊直後の1994年に第一次紛争を起こしている。いずれも、独立を目指す勢力とロシア軍の衝突である。背景はいくつかある。イスラム勢力が根強いこと、カフカス(昔風にいえばコーカサス)という民族、文化の十字路地帯にあることで、地域的に不安定であること。最大の要因は、チェチェンがカスピ海と黒海をつなぐルート上という地政学上の理由にあると思われる。カスピ海は世界有数の良質な産油地帯であり、黒海はボスポラス海峡をへて地中海へ向かうためのタンカー積み出し港である。ロシアのエネルギー安保から考えても、チェチェンは要衝である。こうしたことが複雑に絡み、第2次チェチェン紛争は10年間続く。終結したのは和平によってではない。チェチェンという国自体がずたずたに引き裂かれ、ロシアが軍事介入する必要がなくなったのである。チェチェン紛争のさなか、「チェチェン やめられない戦争」を書いたアンナ・ポリトフスカヤは2006年に自宅アパートで射殺された。

 「あの日の声を探して」は、第2次チェチェン紛争を背景にした。ストーリーに、二つの映画が関わっていると思われる。一つは「山河遥かなり」(フレッドジンネマン、1948年、米国)で、もう一つは「フルメタルジャケット」(スタンリーキューブリック、1987年、米国)。ロシア兵に両親を殺され、幼い弟を抱えて戦車隊から身を隠し逃げ惑う9歳の少年ハジ(アブドゥル・カリム・マムツィエフ)の運命を追った部分は「山河遥かなり」そのままである。そのうえで、暴力と非合理的な精神主義で新兵を殺人兵器へと変えていく過程の描写は「フルメタルジャケット」であろう。そして、「山河遥かなり」にはなかった戦闘シーンがかなりの比重を占める。ハジの放浪は前景であり、チェチェン紛争こそこの映画の主役ではないかと思えるほどだ。

 チェチェン。戦争で荒廃した村の一角。両親を射殺されたハジは自宅に隠れ難を逃れる。姉の生死を確かめないまま、ハジは幼い弟を抱え、戦場をさまよう。途中で弟は民家に預け、難民の車に拾われチェチェンを出て国境近く、救護所に入れられたハジはEU人権委のメンバー、キャロル(ベレニス・ベジョ)と出会うが、そのころには言葉を失っていた。キャロルと暮らすうち心はほぐれ、言葉を取り戻す。実は姉のライッサ(ズフラ・ドゥイシュヴィリ)は、この救護所で一時働いていた。

 「山河―」は、ユダヤ人強制収容所で父と姉を殺された少年が戦後生き延び、母を探すというストーリー。心を閉ざしたままの少年カレル・マリク(イワン・ヤンドル)の前に現れるのは米兵ラルフ・スティーブンスン(モンゴメリー・クリフト)。終戦直後のドイツでロケされた。米ソ冷戦が始まったころであり、米国の善意や人道主義、正義感が押しつけがましいが、「あの日の声―」では当然、それはない。二つの作品の最大の違いは、「山河―」は戦後の物語であるが、「あの日の―」は、その後のクリミヤ、ウクライナ紛争を考えるとINGの部分があると考えられる点だ。それが際立つのが、「あの日の―」のラスト。冒頭シーンをそのまま再現した形になっている。つまり、物語は終わってはいないという暗喩であろう。

 19歳のロシア人コーリャ(マクシム・エメリヤノフ)は、街頭で大麻を吸い補導される。そして最終的に前線へと送られる。おびただしい死体。弾が跳ねる小さな音で、隣の兵士が崩れる。恐怖と闘いながら戦場を走る。兵舎で自殺する兵士(「フルメタルジャケット」そのままだ)、暴力的な制裁…。そんな中で、前線での殺し合いに何の抵抗も持たなくなっていく。

 監督はフランス出身のミシェル・アザナヴィシウス(「アーティスト」で見せてくれた)。製作はフランスとグルジア(本当だろうか、グルジアがよくこんな反ロシア映画を作れたものだ)。全体の印象として、EUから見たチェチェンという形になっている。

あの日の声を探して.jpg 


 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0