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国策メディアの末路を描く~濫読日記 [濫読日記]

国策メディアの末路を描く~濫読日記

「プロパガンダ・ラジオ 日米電波戦争 幻の録音テープ」(渡辺考著)

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「プロパガンダ・ラジオ」は筑摩書房刊。税別2300円。初版第1刷は2014825日。著者の渡辺考氏は1966年生まれ。90年にNHK入局。地方支局を経てETV特集担当。「戦場で書く―作家火野葦平の戦争」など。2011年に大型企画開発センター。「日本人は何を考えてきたのか」など担当。












 現役のテレビマンが、戦中メディアの惨憺たる歴史を追った。2009年に発掘した、米国立公文書館のカセットテープ130巻に及ぶ傍聴記録から立ち上がるのは、ラジオ短波放送を舞台に、1935年から10年間繰り広げられた謀略戦と心理戦だ。「大本営発表」がそのまま伝えられ、ジャズが流れる中、東京ローズが甘く囁く。戦争遂行のための「神話」づくりにかかわったメディアの足跡がある。
 満州事変から4年、日中戦争の発端となる盧溝橋事件の2年前というタイミングで、それは始まった。後にそれは「ラジオ・トウキョウ」と呼ばれる。運営母体は日本放送協会(現NHK)。スタート時は在外邦人への情報提供、諸外国との親善が目的とされた。

 しかし、戦況の悪化とともに放送は変質する。太平洋戦争が始まると20を超える言語で世界に発信され、日本の戦争の正当性がアピールされる。敗戦とともに、進駐軍によって放送は停止されるが、日本の国民が短波ラジオを持つことは禁じられていたため、傍聴記録や傍聴の証言は極めて少ない。著者はNHKのディレクター。メディアの戦争責任を問う番組作りのため取材を進め、この資料に突き当たった。日本から発信された音が60年余を経て、日本に再上陸したのである。

 1936年に日独防共協定が結ばれる。これが、当初「国際親善」を目指した海外放送に大きな影を落とす。ドイツは33年、既に対外短波放送を始めていた。36年にはベルリン・オリンピックを成功させている。こうしたプロパガンダ技術を学ぼうとしたのが日本である。ちなみにいえば、ベルリン・オリンピックの次の開催地は東京だったが、戦争のため開催を返上している。

 ナチス・ドイツの手法と成功を知った日本放送協会は海外放送から「文化伝達・国際親善」の側面をそぎ落とし、情報統制と国家宣伝へと傾斜する。そして真珠湾攻撃以来、「連戦連勝」の大本営発表を世界に発信する。民族独立の機運が高まるインドには、日本にいたインド独立運動の指導者チャンドラ・ボースが「日本の援助」を訴えた。

 放送内容を筆者は四つの種類に大別する。①ニュース②政策・国策スピーチ③連合軍にあてたプロパガンダ=「東京ローズ」の「ゼロ・アワー」に代表される④連合軍捕虜による放送。こうしたプロパガンダ放送に対して、米国内ではアンチ・プロパガンダ放送が流される。ムーディーな音楽の後「ラジオ・トウキョウは、日本は総力戦だと言います。あなたは総力で戦っていますか」―。余裕と皮肉である。

 「ゼロ・アワー」はエンターテインメント色を入れた、一風変わったプロパガンダ番組である。放送経験のある捕虜たちを担当者としてジャズやポップスを入れ、「東京ローズ」(複数)が連合軍向けに「お間抜けさんたち」と囁く。

 日本の憲法草案に関わったベアテ・シロタ・ゴードンも傍受にあたっていたという事実も明かされる。

 しかし、ラジオ・トウキョウは日本の敗戦を前に皮肉な運命を負わされる。ラジオ・トウキョウが、「天皇の大権が変更されないとの理解のもとにポツダム宣言を受諾する用意がある」と流したのは、8月10日のことだったという。

 籾井勝人NHK会長が20141月の就任会見で「日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と発言したのは記憶に新しい。「国策」を受け入れたメディアがどんな末路をたどるか。この書はそれを語っている。


プロパガンダ・ラジオ: 日米電波戦争 幻の録音テープ (単行本)

プロパガンダ・ラジオ: 日米電波戦争 幻の録音テープ (単行本)

  • 作者: 渡辺 考
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/08/25
  • メディア: 単行本

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