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映像で表現した「詩人の心」~映画「パプーシャの黒い瞳」 [映画時評]

映像で表現した「詩人の心」~映画「パプーシャの黒い瞳」

 20世紀初頭、第一次大戦が始まる少し前、ポーランドの大地でその女の子は生まれた。まだ若かった母は、愛称を「パプーシャ」(人形)とした。本名プロニスワヴァ・ヴァイス。書き文字を持たないジプシー【注】のクンパニア(キャラバン)で育った彼女は、次第に文字への関心を高まらせていく。そんなとき、一人の男が旅に加わる。ワルシャワ一斉蜂起に参加、逃げ延びてきたイェジ・フィツォフスキ。戦後、ワルシャワ大で学び、ラジオ局に勤めたこの詩人は、2年間の旅の中でパプーシャの才能を見いだす。イェーツをはじめとする言葉の豊饒の世界を彼女に教える。

 ナチスの侵攻、そして戦後の荒廃。ジプシーは、ユダヤ人と並ぶ存在としてホロコーストの対象になった。そんな時代の荒波と過酷な自然、貧困の中で、パプーシャは純粋な言葉の世界を紡ぎだす。しかし、文字を持たないジプシーの中にあって彼女は異端者としての悲哀を味わい続ける。

 フィツォフスキは戦後、自らのジプシー体験とパプーシャの詩の紹介を一冊の本に込める。パプーシャは世に知られることになる。しかし、ポーランドの社会主義政権は1949年、ジプシー同化政策に乗り出し、フィツォフスキの著作とパプーシャの詩は徹底的に利用される。ジプシーの世界からは、「ガジョ」(よそ者)に魂を売り渡した、とパプーシャへの非難が高まる。パプーシャは晩年の孤立の中で、筆を折る。出生から60年後、訪れたフィツォフスキに「詩など書いたことはない。一度も」と答える。

 しかし、彼女はジプシーで初めての詩人として、永遠にポーランドの記憶に残る存在となる。

 ポーランドの大地を映すモノクロームの映像が美しい。旅をするジプシーの光と影が繊細に、余すところなく描かれている。そしてパプーシャの「詩人の心」は、言葉としてではなく、映像として表現されているのだということが、ラストのカットで思い知らされる。

 この作品を遺作として2014年に世を去ったクシシュトフ・クラウゼは「伝記でも、社会政治的な野心を持った映画でもない」としたうえで、創造する勇気と孤独、報われない愛情と幸福について描いた映画であり、ジプシーの世界の再構築に挑んだ映画でもある、と語っている。2013年、ポーランド映画。

【注】「ジプシー」は今日、差別的な言辞と認識され、「ロマ民族」と呼び変えられている。しかし、映画の中では「ジプシー」が使われており、この言葉を踏襲する。もとより、差別的な意識に基づくものではない。

 パプーシャ.jpg

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