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ニュース番組がつまらない [社会時評]

ニュース番組がつまらない

 4月から、NHK・ニュースウォッチ9(NW9)のキャスターが代わった。大越健介は河野憲治、井上あさひは鈴木奈穂子に。この新キャスターが味気ない。切り口が平凡な上、つけるコメントも内容がなく記憶に残らない。NHKの番組史上で最悪と思える。

 たしかに、二人とも一見スマートだ。だが、それがどうした、である。「私」という個人を通して、このニュースはどう見えるのか、社会は、権力は、人間は、といった迫力がまるでない。だからコメントも無味無臭、無色透明でつまらない。

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 ニュース番組が今日のような形になったのは1974年4月に始まった「ニュースセンター9時」からであろう。キャスターは記者だった磯村尚徳で、ウォルター・クロンカイトやダン・ラザーがアンカーを務めた米テレビ「CBSイブニングニュース」が原型と思われる。この発展形が久米宏をキャスターとしたテレ朝「ニュースステーション」(1985~)であろう。原稿を読むだけのニュース番組が、ジャーナリズムのフィルターを通したときニュースがどう見えるかが語られ、さらにはショー化して見せるという、テレビにおける軌跡が見える。背後にあるのは、分かりにくいニュースを身近な視点で分かりやすく伝えようという意図である。

 ところが、今のNW9は、積み上げたものを台無しにするほどの変わりようである。つるりとしたコメント。摩擦がない。この感覚を、辺見庸も指摘する。姜尚中や藤原帰一のテレビでのコメントに「危機感のなさ、摩擦のなさ、情況とのひっかかりのなさに驚いて」しまい、そこに「うすら寒い時代性」を感じている。別の言い方として、辺見は「権力は十分に不穏なのに、魂をえぐる不穏さがない」ともいう(「絶望という抵抗」(佐高信との対談、金曜日刊)。

 この感じは、最近の「報道ステーション」にもいえよう。3月27日、コメンテーターの古賀重明が「早河洋テレ朝会長らの意向で下ろされることになった」「官邸のバッシングがあった」と発言し、古館伊知郎が慌ててとりなすという一幕で一気に色あせた。

 極めつけは、5月14日の安倍首相会見を受けて15日に放映した2人(宮家邦彦と白井聡)のコメントの冒頭での古館発言である。いわゆる安保法制について、直前に福島瑞穂の「戦争法案」発言に首相がクレームをつけたことから、「『戦争法案』という呼び方もしないかわり『平和』という呼び方もしない、安全保障法案とする」とした点である。福島が法案を「戦争」と呼ぶことにも、首相が「平和」と呼ぶことにも、背景にはそれぞれの思想がある。それを「込み」で伝えてこそ、ニュースではないか。もっといえば、この法案を「安全保障」と呼び、安全保障は軍事や防衛によって達成されるとする考え方自体、そもそも「思想的」なのではないか。

 猿にタマネギを与えたらどうするか、という逸話がある。皮をむき続け、最後に何も残らないことを知る、という。タマネギは皮ごとゆでるか炒めてこそ味がある。サルと同じことをしているように見えてならないのだ。もちろん、NW9も。


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BUN

今回の大阪都構想の住民投票。マスコミは何か、判断材料を伝えたのか。今の大阪市のままで良いと、考える人々の利権や小さくは市から与えられる恩典がなくなる、これまで培った大阪市からの受注業者等々。反対は老人も多かったと聞く。孫の未来より自分の財布が大切。大阪市に巣食う魑魅魍魎の一端でも我々はマスコミから知らされただろうか。地方に住む我々には関係無いか、「♪今のままでは、いまのまんま」というコマーシャルが思い出される。
by BUN (2015-05-21 23:57) 

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