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反グローバリズムを説く~濫読日記 [濫読日記]

反グローバリズムを説く~濫読日記

「イスラーム 生と死と聖戦」(中田考著)

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「イスラーム 生と死と聖戦」は集英社新書。初版第1刷は2015222日。税別760円。中田考氏は1960年岡山生まれ。東京大文学部卒、カイロ大大学院修了(哲学博士)。元同志社大教授。イスラム法学・神学。

 














  事実上無政府状態と化したイラクとシリア国内に「イスラム国」という怪物が生まれ、米欧はこれを壊滅させることに躍起である。今のところ、イスラム国の残虐な手法にのみ焦点があてられ、この集団がどのように、なぜ生まれたかはほぼ解明されていない。
 イスラム国に渡ろうとした北大生が、おそらくこれまで適用されたことのない私戦予備・陰謀罪(刑法第93条)で強制捜査(事情聴取及び家宅捜索)されたことは記憶に新しい。公安警察のパフォーマンスと思われるが、この程度のことでこんな罪名がつくなら、同様の事例はもっとほかにあるだろう。古い話では、スペイン市民戦争に義勇軍として参加した人びとは(日本人で該当するケースがあるかどうかしらないが)どうなるのか。

 北大生とイスラム国の橋渡しをしようとしたのが、イスラム法学者中田考氏である。イスラム国をめぐる報道に関しては政府による情報操作があると思われ、その結果として「テロ組織」の側面の過剰な強調があると推測される。そんな中でイスラム国の実像をつかむには、この一冊は役に立つだろう。

 読んでみて、まず、我々が信じて疑わなかった国家観が揺らぐ。ヨーロッパはカトリックとプロテスタントの30年戦争を経て1648年のウェストファリア条約に到達する。宗教による国家の支配に一定の限界性を認めたこの条約によって神聖ローマ帝国は終焉へと向かうが(帝国自体は1806年に消滅)、ここでヨーロッパが編み出した知恵が政教分離である。国家とは人間の理性によって運営され、神は教会の中でのみ、生き続ける。

 イスラムの国家理念では、この政教分離を本来は認めない。「本来は」としたのは、中東諸国でこの政教分離を実態として認めている国はいくつもあるからである。

 こうした既存の国家のありようを堕落した世俗主義として否定し、完全な政教一致を求めるのが、カリフ制国家である。中田氏の書を読むと、この概念は米欧の国家観とは全く違うことが分かる。まず、国境や領域の概念がない。「イスラム法」が支配原理であり、支配者は「神」そのものであるから、確かに「国境」という概念は成り立たない、というより必要がないのである。そのかわり、「聖戦」(ジハード)、「殉教者」という概念は生き続ける。つまり、イスラムにとって国家は領域や国境線のことではなく、運動そのものだと理解される。

 よく言われることだが、中東と北アフリカの、いわゆる広大なイスラム帝国が存在した地域には、いま国境線が引かれている。悪名高い英仏によるサイクス・ピコ協定(映画「アラビアのロレンス」にも出てくる)をはじめとして、欧州による分捕り合戦が行われた結果である。だから国境線は直線(緯度と経度をそのまま国教としたため)であり、時には直角をなしている。

 しかし、中田氏によれば、人間の理性による国家運営は、必ずしも平和に結びつかなかった。ナチス・ドイツやスターリンをはじめとして多くの虐殺や戦争を生みだしてきた。だから、中田氏は政教分離を「現代の妄信」という。そのうえで、ジョン・ロールズを引用しながら先進国の少数の人びとが富を占有し、多数の人間が発展途上国で暮らすことを強いられる現在の「領域国民国家」システムは「不正」であると断じる。この思想は、反グローバリズムのための国際的な連帯の追求に通じている。国家という呪縛からの解放と、グローバリズムという新たな植民地主義への対抗である。ただ、中田氏はカリフ制国家を支持しつつも、イスラム国を理想化しているわけではなく、そのやり方の大半に「反対」だとしていることは、押さえておかなければならない。

イスラーム  生と死と聖戦 (集英社新書)

イスラーム  生と死と聖戦 (集英社新書)

  • 作者: 中田 考
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/02/17
  • メディア: 新書

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