端正な映像・重い事実~映画「イーダ」 [映画時評]
端正な映像・重い事実~映画「イーダ」
1962年のポーランド。この時代設定がまず、微妙である。
ポーランドは第2次大戦後、ソ連軍によって解放された。戦後政権は、スターリンの意向をくむ顔ぶれが担った。スターリンが1953年に没した後、フルシチョフが56年にスターリン批判を行い、東西雪解けの時代が到来する。
映画に戻る。修道院で育てられた18歳の戦争孤児アンナ(アガタ・チュシェブホフスカ)は突然、叔母ヴァンダ(アガタ・クレシャ)の訪問を受ける。そして、自らの出自を知る。彼女はユダヤ人であり、本名はイーダ。両親は既に亡くなっている。イーダは、両親の墓を見たいと言うが、どこにあるかさえも分からない。そこで、ヴァンダとイーダの4日間の旅が始まる。両親が住んでいた家には、ある父子が住んでいた。彼らを問い詰めると、真相が分かり始める…。
ヴァンダは50年代初め、市民に恐れられた検察官だった。しかし、今は酒と情事に溺れる毎日だ。ここに、冒頭で触れたポーランドの時代背景が重なってくる。
全編、物静かな雰囲気だ。イーダとヴァンダの心のひだを追うというより、芸術的な映像美の中での感情移入を許さない、静謐のドラマ展開だ。背景の隅々までが計算された構成の中で、人間は常にぽつねんと隅っこにいる。そうして生まれた膨大な空間は何を意味するか。そこにこそ、この映画を読み解くカギがある。そうした静謐の中に流れるのはコルトレーン。ここにも、作り手のこだわりがのぞく。
小津映画が、日本家屋の幾何学的な意匠を背景に置くことで、登場する人物の寂寥感、無常観を表したように、この「イーダ」の映像美にも何かがある。
イーダは森の中に埋められた両親の遺骨にたどり着き、新たにそれを埋葬する。なにかが吹っ切れたように、彼女は通りすがりの男との情事にふける。このあたりでしかし、映像は若干、その静けさを失う。これは、作り手の意志によるものだろうか。
モノクロの端正な映像がこれほどまでに美しいと、あらためて感じさせる。そして、ナチによってだけでなく、ポーランド人自身の手によってユダヤ人虐殺がなされたという重い歴史的事実が、言葉ではなく映像で伝えられようとしている。
監督は、1970年代初めに14歳でポーランドを出たパヴェウ・パヴリコフスキ。
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