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ナチの犯罪を淡々と描く~映画「シャトーブリアンからの手紙」 [映画時評]

ナチの犯罪を淡々と描く~映画「シャトーブリアンからの手紙」

 19411019日、ナチスドイツ占領下のフランス。ドイツ軍将校が、レジスタンスの若者にナント市の路上で狙撃され殺害される。ヒトラーは激怒し、報復として150人ずつ、計150人の処刑を命じる。パリのドイツ軍司令部は抵抗するが、かなわない。処刑リストはシャトーブリアン郡のベルナール・ルコルヌ副知事(セバスチャン・アカール)によって作成される。基準は政治信条(つまり共産主義者)、地元民であること。当時のフランス政府は、ユダヤ人強制連行への積極的関与でもわかる通り、ナチスに協力的であった。ルコルヌ副知事は良心の呵責に悩みながらも、無関係の市民が処刑されてはならない、との理由でリストづくりを進める―。

 そのリストには17歳の少年レオ=ポール・サルマン(ギィ・モケ)や釈放直前の若者が含まれていたが、いったん作られたリストは変更不可能であった。

 狙撃事件から4日後、シャトーブリアン郡ショワゼル収容所のコミュニスト27人が処刑され、この映画は終わる。処刑直前、モヨン神父(ジャン・ピエール=ダルッサン)が収容所を訪れる。「処刑は暗殺を生み、さらなる暗殺は処刑を呼ぶ」と、この報復措置を批判。さらにドイツ軍将校には「あなたはクリスチャンか。ならば何に従うのか。命令の奴隷になるな」と話す。この作品中、もっとも存在感があるのは、この神父役を演じたジャン・ピエール=ダルッサンであろう。

 監督は「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ。ヒトラーの明らかに個人的感情に流された判断を、ドイツ軍内部もフランス政府も止めることができなかったという苦い史実を、淡々と描いた作品である。だからこそ、神父の言葉に、ナチスの犯罪への重い批判が込められていると考えるべきであろう。もちろん、こうした常軌を逸した措置こそがレジスタンス運動の根源的な怒りへと結びついたことは、想像に難くない。

 この話は遠いヨーロッパでの過去の出来事と限定的に考えるべきではない。ヒトラーが、そしてナチスドイツがワイマール憲法下(念のため言えば、ナチスの権力掌握はドイツ憲法改正によるものではない)、あれだけの権力を握り人類史に残る犯罪へとひた走ったのは「全権委任法」の成立によるものであった。どんな時代でも「全権委任」は歴史的過ちの根源であることを知っておかなければならない。
 

 シャトーブリアン.jpg

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