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消費と疾走~空っぽの時代を振り返る [濫読日記]

消費と疾走~空っぽの時代を振り返る

「松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命」(中川右介著)

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「松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命」は朝日新聞出版刊。900円(税別)。初版第1刷は201412月。著者の中川右介は1960年東京生まれ。早稲田大第2文学部卒。「クラシックジャーナル」編集長、出版社アルファベータ代表取締役編集長。著書に「カラヤンとフルトヴェングラー」「山口百恵」など。



 












 ある記事が、記憶の隅に残っていた。10月9日付産経「『戦後日本』を診る 思想家の言葉」。筆者は東日本国際大准教授、先崎彰容氏である。三島由紀夫を取り上げていた。見出しは「空っぽな時代の孤独」。冒頭、1970年の三島の文章を引いていた。「(このまま行ったら)日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう」。もちろん、三島はそれでいいと思っているわけでなく、先崎氏の言葉を借りれば「異様なまでの焦燥感」と「孤独感」を感じている。

 □空虚で輝いた時代

 三島がこうした感慨を漏らしてから10年後の日本は、果たしてどうなったか。三島が焦燥感に包まれて見ていたイメージ通りの「日本」になっていたのではないか。

 歴史と呼ぶには近すぎ、過去と呼ぶには遠すぎる80年代、二人の「アイドル」が大衆の視線の先を駆け抜けた。しかし、二人はその生き方においてあまりにも違っていた。そう書く中川右介は「あとがき」で、三島が見た「時代」とはまるで裏表の感慨(それは、交錯しているがゆえに裏表である―パラレルではない)を書いている。それは、こんな具合だ。

 ――後に、「空っぽ」とか「カスだ」とか「見かけだけ」とか、さんざんに批判される一九八〇年代は、私にとっては「見かけだけ立派で、中身は空洞だったかもしれないけど、その空虚さゆえに輝いていた素晴らしい時代」である。

 ここでおそらく、60年代に生まれ、80年代に20代であった著者の個人史的感慨を引いて考えなくてはなるまい。ちなみにいえば、私の場合、80年代は30代後半のころであり、会社人間として「時代」に最も目配りをしなかった頃だったと、今振り返れば思う。そのあたりのバイアスも心して「修正」しなくてはなるまい。

 そのうえで、80年代に一定の総括をするとすれば、60年代からの高度経済成長が終わり、金融バブルの時代とその終わりが訪れる。「昭和」が終わるのが89年1月であり、米ソ冷戦の終わりを象徴する「ベルリンの壁」崩壊も89年である。つまり、80年代後半は日本だけでなく世界の歴史的転換点であった。

 その大枠の中でその時代の日本を見渡せば、冒頭の三島の言葉がそのままあてはまる時代であったといって差し支えないだろう。無機的で空っぽでニュートラルで、しかし富裕な時代。それを一言で言い表すなら、消費時代の究極形、爛熟した消費時代と言えるのではないか。そうした時代の二人のアイドル、松田聖子と中森明菜もまた、「消費されるアイドル」だったのだ。しかし、前述したように二人の軌跡は、あまりにも違っている。

 □大衆の欲望と誤解

 中川は、80年代前史として山口百恵を取り上げる中で、流行歌についての平岡正明の言葉を引いている。

 ――作り手と歌い手の角遂のなかに大衆という巨大な第三者を吸引するのであって、大衆の欲望と誤解の総体を乱反射させて、歌手や作曲家を超えて勝手に一人歩きする。

 とりあえず、中川に倣ってここを出発点としよう。しかし、このように定義された「流行歌」の前線に立ち、「大衆の欲望と誤解」の前に心身を曝す、それも20歳になるかならぬかの少女が、というのはとても危険なにおいがする。

 この書であらためて確認したのは、山口百恵と中森明菜は本名でステージに立ち、松田聖子は本名とは縁もゆかりもない芸名を使ったという点である。これは3人の生き方を考える上でも、象徴的なことだ。消費されるアイドルを闘う中で、山口百恵は「横須賀ストーリー」をうたい、個人史に回帰するが、結婚を機にいっさい芸能界から手を引く。中森は「役割」を終えてなお芸能界から引くことができず、心身に異常をきたす。松田は「アイドル」は演じるべきものと割り切ることで結婚と芸能活動を両立させ、「ママドル」なる言葉を具体化させる。

 ――彼女は本名と芸名とを使い分け、松田聖子を演じ切っていた。(だから)松田聖子は数限りないスキャンダル攻撃を受けても耐えられた。(略)蒲池法子は常に安全地帯にいることができた。しかし、本名を芸名とした中森明菜には逃げる場所がなかった。

 甘い幸福をうたわせたら松田の右に出るものはいない、不幸をうたわせたら中森の右に出るものはいない、と言われた。しかし、戦略的アイドルであった松田と違って中森は「不幸」を歌い続けたために虚構と実人生の境界線を見失っていく。

 松田と中森の「疾走」の背景には、TBS「ザ・ベストテン」の存在が大きいと、中川は書く。各種売り上げデータをもとに算出した順位を歌手が競う。アイドルも演歌の大御所も関係がない。演歌の大御所がアイドルの前座を務めた。

 □戦略と永久革命

 こうした中で、松田は作曲家や作詞家がもくろんだよりもはるかにうまく、提供された曲を歌ってしまう。これを中川は、大人たちが商品として見たかもしれないが、松田にとっては思想であり、戦略であり、体制であったのだという。それはマルクスとエンゲルスの思想をレーニンが戦略化したようなもの、と解き明かす。

 中森は歌のスケールの大きさとダイナミックレンジの広さで比類なき才能を持っていた。それだけに、彼女の力を生かそうとすれば、歌は難解になり、大衆の許容レベルを超えてしまうという矛盾を抱えていたと中川は見る。著者は触れてはいないが、松田が戦略家レーニンだとすれば中森は永久革命論のトロツキーだったのかもしれない。

松田聖子と中森明菜 [増補版] 一九八〇年代の革命 (朝日文庫)

松田聖子と中森明菜 [増補版] 一九八〇年代の革命 (朝日文庫)

  • 作者: 中川右介
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/12/05
  • メディア: 文庫

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