少年たちが見た「戦争」~映画「悪童日記」 [映画時評]
少年たちが見た「戦争」~映画「悪童日記」
ハンガリーからオーストリアを経てスイスに亡命したアゴタ・クリストフの小説を映画化した。戦火を逃れて「大きな町」から「小さな町」へと疎開した双子の兄弟が、身近に迫る戦争を見つめながら生きていく物語である。
預けられた先は、母の実母、双子の兄弟にとっては祖母にあたる女性の家。しかし、彼女は近所から「魔女」と呼ばれている。だから、少年たちにも容赦がない。「仕事」をしなければ夕食はないのである。薪割り、水汲み…。こうした生活のなかで二人は聖書をテキストとし、学んでいく。ナチの性倒錯将校、身体や精神に不具合を持つ隣家の少女、たまたま出会った司祭館の娘の、引き連れられていくユダヤ人(と思われる)の列への無慈悲な振る舞い…。そして、森で出会った兵士の死。戦場での殺し合いにとどまらない、日常の中の「戦争」を少年たちは目撃する。
1944年8月14日というから、第2次大戦末期である。「大きな町」はブダペストを類推させる。戦争が終わり、赤旗を立てた戦車が平原の向こうから来る。ソ連兵であろう。凌辱される少女。戦争末期、迎えに来た母は玄関先で砲弾に直撃され即死する。直後に来た父は、隣国(おそらくオーストリア)への亡命を図る。双子の少年たちも父の手助けをし、鉄条網を越えさせることに成功するが、踏み出した一歩が地雷に触れ父は死んでしまう。
それを見ていた双子のうちの1人が鉄条網を越え、爆死した父の背中を伝って隣国のやぶの中に消えていく。
大上段に戦争の非人道性を訴えているわけではない。おそらく10代前半の少年たちが見たのは、大人たちのエゴイズムやデカダンス、そしてその先にある残酷さであったに違いない。少年たちはそれを見ながら反発し、しかしそんな大人たちに負けまいとたくましく生きる。戦争は、戦場からどれほど離れていても無慈悲で残酷なものだと、少年たちの眸が語っている。しかし、目の前にあるのは恐怖の現実でも怒りの現実でもない。少年たちにとっては、冷やかで乾いた、生き延びなければならない現実があるだけなのだ。
原作は世界的なベストセラーらしいが、まだ目にしていない。ぜひ読んでみようと思う。映画の中で登場する国境線がハンガリー・オーストリア国境であったとすると、かの地は1989年、東側から西側へと「大脱走」が起きた地でもある。冷戦の始まりと終わりの地である。
ただ、原作もそうだが「悪童日記」のタイトルはどうにかならなかったものか。原題は「Le Grand Cahier」(大きな日記)。二人が、日常のことを書きつけていた日記に由来する。戦争と対比する形で、クリスティアン・ベルガー(「白いリボン」の撮影監督)がとらえた田園風景がとても美しく、少年たちの心の陰影を際立たせている。監督はハンガリーのヤーノシュ・サース。ドイツ・ハンガリー合作。
コメント 0