SSブログ

なめらかな近代の克服~濫読日記 [濫読日記]

なめらかな近代の克服~濫読日記 


「アジア主義 その先の近代へ」(中島岳史著)

 アジア主義 (2).JPG

「アジア主義 その先の近代へ」は潮出版社、1900円=税別。初版第1刷は2014720日。中島岳史は1975年大阪府生まれ。北海道大准教授。専攻は南アジア地域研究、近代思想史。2005年に「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。



 












 「アジア主義」をめぐる議論は、戦後民主主義の下で長く放置されてきた。記憶に残るのは「日本とアジア 竹内好評論集 第3巻」であるが、初版は1966年である。橋川文三「順逆の思想 脱亜論以後」は73年の出版だった。

 そのため、2009年に成立した鳩山由紀夫政権が「東アジア共同体構想」を持ち出したとき、それはいかにも唐突であり、内実を測りかねるものだった。しかし、今日の過度な対米従属外交を見れば、日本と米国、そしてアジアとの距離をどうとるかは、国の針路を考える上で必須の課題である。その点、この書は時宜を得たものといえる。

 「アジア主義」はなぜ、置き去りにされてきたか。言うまでもなく、それは侵略思想そのものだった、という認識に立つからだろう。著者はそれゆえに「アジア主義」の持つ多彩な側面から説き起こす。まず、「侵略」とのかかわり。これを「王道/覇道」の問題ととらえる。王道を歩むべきだった日本は結局、米欧と同じ覇道(覇権主義)の道を歩んだ。二つ目は「抵抗としてのアジア主義」。宮崎滔天の侠気が、この代表である。しかし、近代功利主義への批判から出発しながら最終的に国家の近代化を促すというアポリアを抱える。そして「思想としてのアジア主義」。岡倉天心、柳宗悦らが代表である。しかし、行動力が決定的に不足したため、影響は限定的だったと著者はいう。

 「アジア」と一口に言っても、把握はかなり困難である。普遍的認識論や価値論があるわけではなく、宗教も多様である。柳はこれを、山登りに例える。頂上=真理は一つである。しかし、そこにいたる道程は、いくつもある。単一論でなく「多一論」である。

 このほか、西郷隆盛像をめぐる議論も、既に知られていることではあるがあらためて読み直してみれば興味深い。「征韓論者にあらず」は1978年に毛利敏彦が唱えた説だが、賛否両論を巻き起こし、橋川文三が「日本近代史記述の傑作」と評した。橋川はその後、折に触れてこの文脈で西郷論を展開した。

 中島は、結論として竹内の「方法としてのアジア」克服のため、多一論による西欧的リベラリズムの包み直しと「なめらかな近代の克服」が必要だという。困難だが、閉塞感漂う今日の情勢に風穴を開けるべく、一考に値する提案であろう。

 今日の思想的縊路とも言える問題を、極めて広い視野と平易な文章で著した一冊だ。

アジア主義  ―その先の近代へ

アジア主義  ―その先の近代へ

  • 作者: 中島岳志
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2014/07/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0