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アベノミクス幻想に踊らされるな~濫読日記 [濫読日記]

アベノミクス幻想に踊らされるな~濫読日記

「アベノミクス批判 四本の矢を折る」伊東光晴著

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「アベノミクス批判 四本の矢を折る」は岩波書店刊、1700円(税別)。初版第1刷は2014730日。著者の伊東光晴氏は1927年生まれ、京都大名誉教授。理論経済学、経済政策。ケインジアンとして知られる。



 














  けさ(1211日)の朝日新聞によると、自公が衆院議席の3分の2を超す勢い、場合によっては自民単独で3分の2もありうる、と出ていた。このほかでは共産が倍増、維新激減、民主微増、公明堅調、といったところだった。
 これを見て後世の歴史家は何と判断するだろうか。公明、共産といった全体主義志向の政党が岩盤になっており、自民は総体としては必ずしも全体主義志向とはいえないが、現在の安倍政権を支えるグループは明らかに戦前志向であり、全体主義志向と言える。つまり、この選挙結果は(この通りになれば、だが)、後世から見れば、時代が全体主義へと向かっている証左ととらえられるだろう。

 なぜ、このようなことになるのか。最大の原因は選挙制度である。定数1の選挙区が6割以上を占める現行の衆院制度では膨大な「死に票」が生じる。一選挙区で投じられた2割か3割の票に込められた「声」は、議席に結びつかない。二つ目は、経済政策だけを訴える政権側に対して、野党が有効な批判を持ちえていないことだ。小選挙区では、野党が明確な対立軸を設定して勢力を一本化しないかぎり、与党に勝つことはできない。しかし、それはかつての民主党が「寄せ集め」と酷評された愚を再現することにつながる恐れがある。それを危惧するのであれば、後は「選挙制度を変える」という選択肢しかない。しかし、それは自民への対抗勢力をつくることより数倍困難であり、実現可能性はゼロに等しいだろう。

 今の「安倍政治」は、誰が見ても綻びが見える。アベノミクスは2年を経て何の成果もあげてはいないし、将来〝効果〟があるとしても、それはトリクルダウン(カタカナで書けばそれらしいが、つまりは大企業のおこぼれ頂戴路線)でしかない。逆に言えば、大衆の自主参画を前提としない経済政策が成功するなどとはとても思えない。「異次元の金融緩和策」を導火線としてかつての高度経済成長の夢よ再び、ともくろんでいるかもしれないが、少しでも常識のある人間から見れば、かつての高度経済成長時代と今とでは、経済環境が違いすぎるのはすぐにわかることだ。

 その1、人口構成比がまるで違う。1960年代には「団塊の世代」が20歳前後のところにおり、生産を担う労働力の心配がなかった。それはそのまま消費を担う世代でもあった。

 その2、社会インフラの未整備。高度経済成長は社会インフラを整備することで成り立った。出発点となった東京五輪も、新幹線、高速道の整備というプロジェクトと一体のものであった。その後も、全総という形で、列島の工業化が公共事業によって進められた。

 こうしたバックボーンもなく、生木にガソリンをかけて火をつけるだけでは、大木は燃えない。

 前触れを長々と書いたが、こうした観点でアベノミクスを批判したのが伊東光晴著「アベノミクス批判 四本の矢を折る」である。

 アベノミクスは「3本の矢」と呼ばれる三つの政策から成り立っている。①日銀の量的・質的金融緩和策②財政出動③成長戦略―である。

 まず日銀の金融緩和策は、円安・株高を招いたのか。著者はここで「ノー」と答える。株高は、安倍政権ができる前から始まっており、一国の経済政策によってではなく、海外の市場投機筋の動きによってもたらされたと、データをもって解き明かす。

 つまり、こういうことだ。日銀が国債大量購入によって通貨を増発する。これは戦時に、戦費をひねり出すため当時の政府が行ったのと同じ手法である。しかし、増発された通貨を、企業が投資に使い、回りまわって庶民の懐を潤すかどうかは、別問題である。日本の株式市場の売買のほとんどは海外投資家が行っており、こうしたカネの調達を日銀が行っている、ということだろう。これは庶民の経済とは何の関係もない。

 株高が、安倍政権の経済政策によるものでないのと同様、円安も、財務省が政権交代以前から行ってきた為替介入の結果だと著者は見る。つまりアベノミクスは円安・株高に対して何もしていないということだ。

 著者はここで、金融政策の非対称性という言葉を使う。インフレ時には金融政策は有効だが、デフレ時に金融政策は無意味ということである。それを、ガルブレイスの「紐の例え」で説明する。紐は引っ張る時(インフレ時の引き締め)には有効だが押しても(デフレ時の緩和策)効果がない。アベノミクスでやっていることは、一生懸命紐を押しているに過ぎない―。

 財政出動とは「国土強靭化策」という名の公共事業であるが、10年間で200兆円という予算は組まれているのだろうか。著者はこれを「もともと不可能な策」と断じる。つまり、安倍政権が掲げた大風呂敷ということだ。

 そして3本目の矢、成長戦略に至っては、影も形もない。

 経済構造が変わらないのに、いたずらに金融緩和策をとり、紙幣を増刷する。岩田規久男・日銀副総裁の講演録を引いて著者が語っているように、金融緩和策とは「人びとの期待に働きかける」=「おまじないのようなもの」なのである。

 そして著者は、安倍政権には隠された「第4の矢」があるという。それは改憲による戦後理想主義の否定と戦争責任の否定による極右軍国路線の推進である。

    ◇

 今は、リベラリズムの視点からきちんと安倍政治を批判することが重要だろう。そうしなければ批判の輪は広がらない。自民党に拮抗する政治勢力も生まれようがない。共産党をいくら支持したところで、共産党政権ができるわけではないのである。政権は雇用が拡大したと宣伝する。しかし、それは雇用の4割が非正規雇用という現実の中でのことである。中間層は霧散し、国内産業の空洞化(国内産業の7割はサービス業だと言われる)のなかで、紙幣ばかり増し刷りして投機筋に資金提供して、一体何の効果があろうか。アベノミクス幻想に踊らされるのはいい加減、やめなければならないが、一方で政治ニーズと政治システムの決定的なミスマッチも、政治への絶望感を広げている。

 こんな中で、選挙の事前予想を新聞が報道することに何の意味があるのだろう。中選挙区であれば「巻き返し」のための布石になり得たかもしれない。定数1の小選挙区では、ただ絶望感を広げるばかり―自分が投じる票が死に票になることを思い知らされるだけ―の効果しかないようにも思う。

 では一体、どうすればいいか。今はただ、「でもしか」「よりまし」投票が取り返しのつかないことになる、とだけ言っておこう。


アベノミクス批判――四本の矢を折る

アベノミクス批判――四本の矢を折る

  • 作者: 伊東 光晴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/07/31
  • メディア: 単行本

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BUN

民主党の罪は、政権をやすやす自民党に明け渡したことだ。民主党に肩入れしたマスコミと大衆にとって、その落胆は大きく、2大政党政治は霧散した。あまりに稚拙、嘘、不誠実。民主党が行うべきたったひとつの政策、誠実、実直さ、ウソのない政治。日本の不条理をただす糸口さえ掴めず、素人大臣の傲慢さや無能だけが印象に残った。民主党は解党しない限り再び政権を奪取することは出来ないだろう。また、小さな政党が数人で何が出来ると考えているのだろうか。GoogleEarthでおびただしい人家を見ると、このすべての家屋やビルから固定資産税が入る。身の回りのすべてから税金が支払われる。税金がどこかから、おびただしく流れ落ちてる。
by BUN (2014-12-11 23:33) 

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