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中国社会が生んだ不条理~映画「罪の手ざわり」 [映画時評]

中国社会が生んだ不条理~映画「罪の手ざわり」

 

 四つのストーリーからなる。村の炭鉱が売り飛ばされ、その利益がある実業家に独占されたことを知って怒る男。「出稼ぎ」と称して家を出、街頭で強盗を働き平然と帰郷する男。不倫関係に悩みながら、働いていたサウナで客に言い寄られ、逆上して切りつける女。職を転々としながら、ナイトクラブのダンサーとの恋に悩む男。いずれも、突然の暴力がそれぞれのストーリーに決着をつける。

 「暴力」とともに、共通するのは漂泊する魂である。四つの物語とも、登場人物たちの魂は悲しいほど「居場所」を持たない。それはアナーキーな心象風景でさえある。それはなぜか。それはどこから来るのか。

 北京を覆うPM2.5が最悪レベルだという。中国の近代化が生み出したものが、人間の存在を脅かす。それと似た構造を、どこかでこの映画は持っている。中国近代化の中でもたらされた欲望が、人びとの心にブーメランのように跳ね返り傷つける。映画の中の暴力行為は、たとえば北京のPM2.5がもはや環境的「暴力」であるように、社会そのものが人びとに向けた不条理の刃であるように思うのだ。2013年、中国・日本合作。

 

 

 罪のてざわり.jpg

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