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繊細に描く「自立への苦悩」~映画「東ベルリンから来た女」 [映画時評]

繊細に描く「自立への苦悩」

~映画「東ベルリンから来た女」


 ベルリンの壁が崩壊する9年前の東独。1人の女医が東ベルリンからバルト海沿岸の田舎町に赴任してくる。彼女には、苛烈さにおいてゲシュタボ、KGBをしのぐとも言われたシュタージ(
Stasi秘密警察)の監視の目が付いていた。

 バルバラ(ニーナ・ホス)は西側への移住を希望したが認められず、かの地へ転勤させられたのだった。新しい病院ではアンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)という誠実そうな医師がいた。しかし、バルバラは病院内でいっさいの交流を断ち、孤立の道を選択する。そんな彼女の心を、アンドレは氷解させようとする。

 バルバラには西側に住む恋人ヨルク(マルク・バシュケ)がいた。彼女はいつの日にか、西側に越境しようと考える。その一方で、病院内で彼女は欠かせぬ存在になっていく。そんなとき、強制収容所から脱走を繰り返すステラ(ヤスナ・フリッツィー・バウアー)が入院してくる。彼女はバルバラに全幅の信頼を寄せる。

 こうした日常を引きずりながら、バルバラの「西側脱出」計画は進められていく。深夜、ひそかに海岸を出て、デンマークに向かう―。しかし彼女は、最後に一つの決断をする。

 こう書いていて、少し違うな、と思う。西側への脱出を願望する女性の映画なのか。バルバラをめぐって二人の男が登場する。では、二人の男の間で揺れる女性の心理がテーマなのか。それも違う気がする。

 冷戦下の東ドイツ。ここで見つめたものは、一個の人間のアイデンティテイーではないか。あるいは少し角度を変えて「自立への苦悩」と言っていいかもしれない。そのテーマにそってバルバラという女性が立っている。アンドレもまた、映画的には魅惑的な人物である。誠実そうに見えるが卑屈さものぞく。あけっぴろげに見えて繊細な暗さがある。ステラもまた、強制収容所では反抗的な少女でありながら病院では純な一面も見せる。「体制と個人」の間できしむアイデンティティーのありようが、この映画のテーマであろう。そうした見方をすると、ヨルクの陰影のなさが気になる(意図的にそうしたのかもしれないが)。

 バルバラを演じるニーナ・ホスは一見知的で冷たく、しかし内面は熱い―という人物像をうまく出している。彼女が東独の田舎町を自転車で軽快に走るシーンは、当時の社会主義国の重ぐるしい雰囲気といかにもミスマッチで印象的だ。アンドレに「海岸に行かないか」と誘われて「海は嫌いなの」と言ったり、恋人から受け取った逃走資金をかくすシーンで遠くに海なりが聞こえたりするシーンは、最後の海岸のシーンへの周到な布石になっている。もう一つ言えば、逃走資金をかくした石の上には十字架が立っている(社会主義体制下で!)のもなかなかに暗示的ではある。

 バルバラを中心においてアンドレ、ステラ、ヨルクが計ったように等距離に立つ。その3人が交わることはない。いかにもドイツ的な作り方だ。監督は1960年生まれのクリスティアン・ペッツォルト。秀作である。2012年、ドイツ。

 東ベルリン.jpg

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