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1番じゃないといけないのか。 [社会時評]

1番じゃないといけないのか~

原発はなぜ票にならなかったか


 「2位じゃダメなんでしょうか」と言ったのは2009年の蓮舫だった。ノーベル賞科学者らから批判を浴びて、その後発言を修正した。たしかに、科学の世界では1番を目指さなければ2番にも3番にもなれないだろう。初めから2番を目指すなんて、その方がよほど難しい。

 最近、この「2位じゃダメなんでしょうか」というセリフが頭の中でリフレインする。年末にあった衆院選の結果を見てのことである。いうまでもないが、小選挙区は「一番でなければ人にあらず」という制度である。このことによる過剰なバイアスも問題なのだが、それはひとまず置いておくとして、他にも問題がある。その一つは、「政策課題の切り捨て」ということである。

 それは、こういうことだ。

 衆院選公示の1週間前に「脱原発」を掲げて「未来の党」が旗揚げした。嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は「卒原発」と言ったが、その違いは些細なことである。期待した向きも多かったにちがいない。いま国民投票をすれば、おそらく「脱原発」は過半数になるだろう。どう控えめに見ても、最大多数にはなると思う。この声が「未来の党」に反映されるのではないか―。

 しかし、選挙結果に「脱原発」の声は反映されなかった。なぜか。

 初めから「脱原発」が選挙の最大テーマになっていれば、おそらく上記のような結果は得られただろう。だが、選挙ではその前に「原発をどうするかを最優先テーマとするか否か」という有権者の判断がある。景気対策、雇用問題、日中の領土問題、それらを押しのけて、有権者の意識の中で「原発」は差し迫った最大テーマだったか。

 もちろん、福島の人たちにとってはなにより重要な課題であったろうし、こんな問いを発すること自体、官邸前でデモをする人たちにとっては「馬鹿げたことを」ということになるだろう。この構図は、沖縄の基地問題にも言える。「原発」はまだ論議の俎上に上った。沖縄の基地問題は議論さえなされなかった。では、みんなの意識の中にまったくなかったかといえば、それも違う。要は「最優先の課題」とされなかったのである。

 結果を見ると、おそらく「景気・雇用対策」が国民的な最優先課題とされたのだと思う。2番目の政治課題として「原発」はあってもよかったじゃないか、といえば、そうなのだ。しかし、定数1の小選挙区制がそれを許さない。最大多数をとらないと当選しない選挙では、最大多数が振り向いてくれる政策課題を掲げざるを得ないし、自らの1票を死に票にしたくない有権者も、そうした候補に1票を投じる。

 選挙後の政治の動きを見ると、キーワードは「強者」である。まず経済で「強者」を目指す。その後は、軍事で「強者」を目指す。どうしてこんなことになったか。「1番じゃないとダメ」な選挙制度で勝ち上がった人たちが政治をやるからである。

 1番じゃなくとも2番の声、3番の声を政治に反映させる道はあるのだろうか。

 ここで思うのだが、かつてあった社会党という政党は、小選挙区制導入とともに消えた。なぜか。

 社会党の支持勢力は一定の地域の中で最大勢力ではなかった。せいぜい、2番目か3番目に位置する勢力だった。だから、「定数1」になったとたん、切り捨てられていった。もちろんその前に、村山富市首相による安保追認という大転換があったのだが、いま日米安保に異議を唱え、基地問題を追及する勢力は国会にはほぼない。「1番じゃないとダメ」な政治になったからである。

 「原発」にも「基地」にも、異議を唱える勢力は確実にいるはずである。しかしその代表を国会に送り込むサイクルがない。ただ、憲法改正や自衛隊の国防軍への衣替えや、そんなこけおどしの声だけが大きい。小選挙区制導入の罪は、少ない得票で過剰な議席を得るという「バイアス」の問題にとどまらない。政治の在り方さえ変えていくような気がしてならない。その先にあるものは何かをよく考えてみなければならない。


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