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やはり細部で腑に落ちないつくり~映画「あなたへ」 [映画時評]

やはり細部で腑に落ちないつくり

~映画「あなたへ」


 高倉健という稀代の俳優を使った監督は何人かいる。古くは加藤泰、山下耕作、そして山田洋次。それに降旗康男。この中で、高倉健の「味」をもっともよく知っているのは、実は降旗ではないかと思っている。加藤や山下は東映任侠路線の中で高倉を使ったが、そこで着目したのはあくまでも彼の肉体であっただろう。「幸福の黄色いハンカチ」の山田洋次は秀逸だったが、これは「高倉をうまく使った」、つまり山田の「名人芸」によるところが大きい。

 これらに対して、降旗と高倉の関係は少し違っているように思う。

 たとえば「駅」や「夜叉」「居酒屋兆治」で降旗が見せたのは、高倉の「味」の引き出し方のうまさであった。しかし、それは半面で、作品上の「腑に落ちなさ」のようなものをいつも引きずっていたように思う(「鉄道員(ぽっぽや)」も降旗監督だが、私はいまひとつ感心しなかった)。

 たしか「駅」だったと思うが、印象的ないいシーンがあった。雪が舞う夜、高倉が小さな居酒屋の戸をあける。倍賞千恵子演じるおかみがひとり。客はいない。黙って酒を飲んでいると、テレビから八代亜紀の「船歌」が流れる。音声から、紅白歌合戦の模様だと分かる。その日は大みそかだった―。たしかにこのシークエンスはとてもいい。しかし、作品全体の中でどんな意味があるのか、よく分からない。

 降旗監督の新作「あなたへ」は、全体の流れとしては、それなりに楽しめる映画である。人はみな心に悲しみをたたえて生きている―。それを高倉は、せりふではなく存在で演じている。しかし、それぞれのシークエンスの細部で、やはり「腑に落ちなさ」が残るのだ。
 亡くなった妻はなぜ、故郷での散骨を望んだのだろうか。元高校教師を自称する男(北野武)がいう「放浪と旅の違いは分かりますか」というやり取りは何を意味したのだろうか。私など、「目的があるのが旅」などと言ってしまったとたんに、実は旅は魂の放浪であって旅はそのままでは完結しないのではないか、と思ったりもする。佐藤浩市演じるある男(佐藤は好演だった)の素性を、なぜどうやって見抜いたのだろうか。もちろん、ストーリーの展開を予測させるある種の「それらしさ」は分からないではない(このあたり、具体的に書けないのがもどかしいが、書いてしまうとルール違反になるだろう)が、ここにも「腑に落ちない」ものを感じる。細部のあいまいさが詰め切れていない。

 いわゆる「降旗調」というのがあり、「あなたへ」も、その意味では期待を裏切るものではない。そうした「情感」という観点で観るなら、十分楽しめる映画である。

あなたへ.jpg 

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