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精緻なプロットに脱帽~映画「裏切りのサーカス」 [映画時評]

精緻なプロットに脱帽~映画「裏切りのサーカス」


 ジョン・ル・カレという懐かしい原作者の名前にひかれて観てしまった。この名前、イギリス風とフランス風の不思議な組み合わせだ。ここからまずミステリアスである。もちろんこれはペンネームで、本名はDavid.J.M.Cornwellと、全くの英国風だが。

 1960年代の「寒い国から帰ってきたスパイ」は、たしかリチャード・バートン主演で、なかなか渋いスパイ映画だった。これにしびれて、いわゆるスマイリー3部作も読破した。英国MI6を主舞台にし、CIA幹部が実はソ連のスパイだったというキムフィルビー事件にも想を得たとされた。脱線するが、姿を消したキムフィルビーがモスクワの街頭を歩いているシーンは米誌ライフだったかにすっぱ抜かれて大騒ぎになったものだ。さらに、彼が亡くなった時には社会面トップにした全国紙もあるぐらいで、なかなか「時の人」ではあった。

 脱線しすぎた。ジョン・ル・カレの「スマイリー」シリーズである。その筆頭が、この映画の原作「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」である。この長いタイトルは、映画でも少し出てくるが、英国のわらべ歌に由来する。ソルジャーの後に本当は「セーラー」が続くが、テイラーと紛らわしいので省かれた。「リッチマン」も適当でないと省略されている。これらはMI6の構成メンバーのコードネームである。この中に「モグラ」、すなわちソ連への内通者がいるという情報を得て、ストーリーが動き出す。

 「裏切り」1.jpg


 原作もそうだが、カレの作品は精密なストーリーとともに、平凡に見える風景やセリフの中に布石が埋め込まれている。たばこの箱の開け方、ライターに刻まれたメモリアル…。それらが終盤に、一気に立ち上がる。そうしたカレの「らしさ」を、見事に映像化している。トーマス・アルフレッドソン監督の力技とともに、スマイリーを演じるゲイリー・オールドマンの抑えた演技がいい。あまりにも巧緻に組み上げられたプロットなので、部分を紹介するのが難しい。一部を明かせば、それにつれて全てが明らかになってしまいそうな気がするのだ。ただ、大筋をいえばスパイ組織の中の「モグラ探し」であり、断片的な事実が積み上がることで薄皮を1枚1枚はぐように真相が明らかになっていく、と紹介しておこう。派手なアクションはない。ゆっくりと水平にしかパンしないカメラワークは映像に重厚な味わいを醸し出す。シェークスピアを観るように、セリフが存在感を持つドラマであるだけに、視覚的な「雑音」は極力避けた、という仕上がりだ。私などは、ディテールに宿る迫真性を確かめたくて、続けて2回も観てしまった。

 一つだけ疑問に思ったのは、なぜ今ジョン・ル・カレなのか、である。彼は米ソ冷戦を背景に、リアルなスパイミステリーを書くことで成功した。かつてベルリンの壁が崩壊したとき「これでスパイミステリーの時代は終わった」と文化面に記事を載せた新聞があったが、カレもまた冷戦期が過ぎ去って「旬」ではなくなった作家のひとりではあった。その後「リトル・ドラマー・ガール」などで中東に舞台を移した作品もあったが、時代に取り残されていった印象は否めないのである。

 しかし、あらためてこの「裏切りのサーカス」を観ると、まったく色あせてはいない。精密機械のような構成に猜疑心という味付けをすることによって、ドラマとして成り立ちうることを鮮やかに示している。冷戦終結から20年余を経て、冷戦はもはや現実ではなく歴史の一こまという認識が定着したということであろうか。つまり、たとえば時代劇のようにドラマの「額縁」として「冷戦下のスパイ戦」は設定されてもいいのではないか。いまそんな共通認識ができつつあるのか、という側面も、この「裏切りのサーカス」は見せてくれた。2011年、英仏独製作。ジュン・ル・カレ自身が製作総指揮にあたっている。彼ももう80歳のはずだ。こうしたかかわり方は今後そう多くはないだろう。その意味でも、見逃せない。


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