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この男は否定されるべきか肯定されるべきか~映画「善き人」 [映画時評]

この男は否定されるべきか肯定されるべきか
~映画「善き人」


 映画を観終わって、知りたいと思うことがあった。この男が実在の人物だとしたら、彼のその後の人生はどうなったのだろう。もちろん、ナチ親衛隊の大佐であるから、戦後も生きていたとは考えにくい。しかし、それでも生きながらえていたとすれば―。

 自らの戦争責任と正面から向き合って、その後の人生を生きたか。それとも、一定の刑期を経て、小市民としてひっそりと暮らしたか。それとも、再び大学教授として暮らしたか。この男の「戦後」にはとても興味がある。

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 ベルリンの大学の教授ジョン・ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は、だれからの要請にも「ノー」と言えない。だから彼はだれからも「いい人」だと思われている。おそらく彼の中にも、そう思われたい欲望があったにちがいない。エキセントリックな妻の要求、大学の上司の要求、そしてナチからの要求…。そのいずれをも、断れない。

 時代は1930年代。ジョンの書いた「安楽死」をめぐる小説が、ヒットラーの目に留まる。その時から彼の人生は大きく転回する。「ナチ入党」と引き換えに。彼は文学部の学部長に昇進し、ナチ親衛隊の大尉にまで上り詰める。そうした彼の境遇とは反対に、親友のユダヤ人精神分析医モーリス(ジェイソン・アイザックス)には危機が迫る。

 ジョンは妻と離婚し、元教え子のアン(ジョディ・ウィッテカー)と再婚する。モーリスはもはや強制収容を免れない。ジョンはパリ行きの切符を入手。モーリスに出国を勧めるが、結局モーリスに会うことはできない。ナチからの緊急の出頭要請で妻にパリ行きの切符を託すが、その妻の取った行動は…。

 日本が中国大陸で戦争をしたころ、残虐な行動に走った日本兵が、日本国内でも凶悪な人間であったならむしろ問題は簡単である。それは、戦争の犯罪性を個々の人間性に帰することができるからだ。しかしむしろ、日本国内で「いい人」だったにちがいない人たちが戦場で残虐行為に走る。そこに戦争の持つ本来的な非人間性がある。

 ジョンの行動を「葛藤」だの「人間的」だのと肯定する向きもあるが、やはり彼の行動は戦争の加担者としてきちんと批判されるべきだろう。しかしあの時代、だれもがナチに抵抗するなどという勇気を持ちうるとは限らない。そうだとすれば、後世にその行動は正確に(自己)批判されるべきであろう。

 ナチにもユダヤ人の友にも、どちらにも「いい顔」しようというのはもともと無理な話である。最大限善意に受け止めても、この映画は「世間知らずのインテリにとって都合のいいストーリー」ということにならないか。優柔不断と自己保身を苦悩の顔つきで隠してはいけない。

 2008年、英独合作。原作は英の舞台劇。原題「GOOD」は、映画を観る限りアイロニーであろうと受け止めた。


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