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「デジタル」に「人間」が挑む日~映画「リアル・スチール」 [映画時評]

「デジタル」に「人間」が挑む日
~映画「リアル・スチール」


 典型的なアメリカン・ファンタジーだ。すさんだ米国社会の風景の中で関係をずたずたにされた親子が、ある共通の目的と行動を通じて絆を取り戻す。人生の敗残者の色彩を帯びる元ボクサーが、場末の余興の中で何かをつかみ、のし上がっていく。基調低音は「ロッキー」である。

 舞台は近未来。観客は、ありきたりの格闘技に満足しなくなっていた。そこで人間ではなくロボットが、ローマ帝国時代の剣闘士のように殺すか、殺されるか―破壊するか、破壊されるか、の究極の闘いをする。ボクシングから身を引いたチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)はそんなロボット格闘のしがないプロモーターだ。しかし、低予算で仕込んだロボットで勝てるわけもない。試合の後はスクラップの山だ。

 そんな男に転機が訪れる。別れた妻が亡くなり、その子の親権を譲ってほしいという夫婦が現れたのだ。思いがけず大金を手にしたチャーリーは、ひと山当てようと強力ロボットを購入する(ロボットに日本語で「超悪人」と書いてあるのがおかしいが、格闘ロボットの前史とも言える日本のゲーム機文化への皮肉とも読める)。しかし、舞い上がったチャーリーはカネの力に任せて開発された「ゼウス」(設計者が東洋人というところが意味ありげだ)にたたきのめされる。

 リアルスチール3.jpg


 後がないチャーリーは「しばらく一緒に暮らしたい」という息子マックス(ダコタ・ゴヨ)とロボットのスクラップ置き場で部品を探す。そこで偶然見つけた旧式ロボットは、珍しい「シャドー機能」を備えていた。特定の人間の動きを、そのままインプットすることができるのだ。「ATOM」という名のそのロボットに、二人はボクシングの技を教えていく。動物園でのマイナーな試合から出発したATOMは、それでも公式戦の前座までたどりつく。大方の予想を裏切って勝者となり、マックスは無謀にもゼウスへの挑戦状をたたきつける―。

 王者ゼウスに、ATOMは何を武器に闘うのか。相手の動きを見て瞬時にプログラムを書き換える能力を持つというゼウスに隙はないかのようだ。しかし、カネと技術の粋を集めて開発されたロボットには計測できないものがあった。ひるまぬ心。勇気。コーナーで破壊寸前にまで追い詰められたATOMが反撃に出る一瞬、人間のようなエモーショナルな存在に変転する。ただこの一瞬のシーンのために長い「前座」のストーリーが積み重ねられてきたかのようだ。

 これ以上書くと落ちが完全にばれてしまうので、やめておこう。

 チャーリーの人間としての再起を願いながら心を寄せる女性ベイリーを演じるエヴァンジェリン・リリーがとてもいいですね。

 

 リアルスチール4.jpg

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