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オフ懇報道に思う [社会時評]

オフ懇報道に思う


 
オフ懇。ネットの世界ではオフライン懇談を指す。しかし、もちろんここで言うオフ懇はそれとは違う。オフレコ懇談のことである。


 今もあるのかどうかは知らないが、旧赤坂プリンスホテルの裏手に(といえば何派か分かってしまうが)プレハブ張りの派閥事務所があった。ここに詰めていたころ、派閥の事務局長に取材をしたことがある。ひととおり聞いて、確かめた。「この話、書きますよ」。派閥事務所での取材は、断らない限り「オフレコ」である。だから、断った。しかし、名前は出せないだろう。「同派幹部は…」でいいか。そう思っていたら予想外の反応が返ってきた、「いいよ。○○がそう言った、と書いてくれ」。実名も出していいという。そして一呼吸置いて言った。「綸言汗のごとし、だ」。後から知ったが、その政治家は、どんな場所でしゃべろうが実名で出していい、というのが身上だった。彼は後に首相になった。

 私が取材したのは小泉純一郎だった。まだ若かった。

 

  11月末、沖縄の居酒屋で〝事件〟が起きた。防衛省の、かなり地位の高い役人が沖縄を女性になぞらえて蔑視する発言をしたのである。この役人、沖縄防衛局長の周りには地元紙、全国紙、テレビ局の記者計9人がいた。しかし翌朝の朝刊、あるいは放送で発言を報道したのは琉球新報一紙だけだった。他のメディアは、琉球新報を見てあわてて後追いをした。なぜこういうことになったか。

 この酒席は「オフ懇」として設定されていた。防衛省側が提案し、記者側も了承していた。だから、各社は発言を聞いていたが報道しなかった。琉球新報だけは、たとえオフレコといえども見過ごせない、と報道した。これに対して防衛省側と一部メディアは取材相手との道義的責任を踏みにじる、と反発している。


 これをどう考えるか。各紙の見解を見てみた。

 結論から言えば、どっちつかず。臭いものにふた。「検証」などときれいな言葉を使ってはいるが…。その中で印象に残ったのは127日付毎日「異論反論」の佐藤優氏。メディアの側からでなく、官僚の側からの「オフレコ」の意味を説いているのが新鮮だった。オフレコ取材は深層を知る上で記者にとって有効な手段であるが、官僚の側から見ても、メディアの報道に一定の方向を与えることができる(もっと露骨に言えば、誘導できる)手段でもある。つまり、双方にメリットがある。一方的にどちらかがサービスでやっているものではない。だから佐藤氏の次の言葉は、納得がいく。

 オフレコ懇談は、酒席での放言ではない。報道されないことを前提に、踏み込んだ情報を提供し、政府の政策に対して理解を求める公務なのである。


 まったく正論だが、意外にこのことは理解されていない。それは、松元龍・復興担当相が7月に宮城県を訪れて村井嘉浩知事に「意見集約をちゃんとやれ。やらなかったら何もしない」と言い放ち、周囲の報道陣に「これはオフレコだ」とくぎを刺したことにも表れている。一方的に「オフレコ」と宣言すればオフレコになるわけではない。だから地元のテレビ局は一部始終を放映した。


 オフレコに関する報道各社の考え方は、1996年の「日本新聞協会編集委員会見解」に立脚する。

 この見解は前年末、江藤隆美元総務庁長官のオフレコ発言が一部外国メディアで報じられた結果、オフレコ協定を解除するかどうかで各社の対応が分かれたことを受けて出された。「『記者の証言拒絶権』と同次元」のもので「破られてはならない道義的責任」としてオフレコ取材を基本的に認めている。この部分はよく引用されるが、後半部分が引用されることは少ない。そこにはこうある。

 ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべきである。


 江藤発言で各社の対応が分かれたのは、一部メディアで報道された以上オフレコの意味はないとする毎日・東京と、発言者自身が了解しない以上解禁できないとする読売・産経の対立によるものだった。しかし、ここで発言者の意図がどうあろうと、発言そのものにニュースとしての価値があるかどうかを判断しなければ、メディアの自立性が問われる。

 佐藤氏が言うように「情報源との信頼関係が崩れ不利益を被るリスクと国民の知る権利への貢献を比較考量し、後者の方が圧倒的に重ければ、真実を報道することがマスメディアの職業的良心だ」ということになるのではないか。


 このことは、情報発信者(官僚側)から見ると、どういうことになるか。

 オフレコ取材といえども、情報が漏れることを前提にしゃべることだ。沖縄の居酒屋であったオフ懇も、当然のことながらデスクや部長に発言内容が報告されている(いないとは考えられない)。場合によってはQ&Aで事細かに再現され(わたしは、永田町の記者たちは人間テープレコーダーだと思っていた。それほど記憶一本での「再現能力」に優れている)、紙は思わぬところへ回る可能性がある。それを承知でしゃべることだ。

 その意味では、一席設けて本音を語り合おう、などというのは危ない。かつての経験で言えば、放言癖を持つある大物政治家は懇談の席で、そばに信頼できるベテラン秘書を置いていた。秘書は発言をチェックしながら「いまのは取り消してください」などと助言していた。田中聡氏も、酒席を設けたかったのなら、そのぐらいの用心深さを持ち合わせるべきだったろう。


 結論。報道機関にとって最後の最後は「書くか、書かないか」になる。永田町も、記者クラブも関係ない。読者に伝えるに値するか。それがすべてである。12月3日付朝日「記者有論」で谷津憲郎・那覇総局長は、発言を聞いていないがもし聞いていたら、と自問し「たぶん記事にしなかった」と述懐している。正直な心境だとみるが、やはり「ほぞをかんでの」発言だろうと思う。


 1971年、ペンタゴン・ペーパーの報道差し止め命令がNYタイムズに出た際のワシントンポスト紙での議論。ある記者はこう言っている。「報道の自由を守る唯一の方法は、報道することなのです」(D・ハルバースタム「メディアの権力」から)


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                                                     1996(平成8)年214

 日本新聞協会編集委員会は、昨年、オフレコ取材内容が外部のメディアなどに流れ、問題となったことから、オフレコ取材のあり方を再検討し、同問題に対する見解をまとめ、その基本原則を確認した。


 

               オフレコ問題に関する日本新聞協会編集委員会の見解


 

 最近、閣僚や政府高官などの取材をめぐり、いわゆるオフレコの扱いが相次いで問題となり、とくに昨年末、江藤元総務庁長官のオフレコ発言の一部が外部の他メディアなどに漏らされたことは、取材記者の倫理的見地から極めて遺憾である。オフレコ(オフ・ザ・レコード)は、ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない「取材源の秘匿」、取材上知り得た秘密を保持する「記者の証言拒絶権」と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある。

 新聞・報道機関の取材活動は、もとより国民・読者の知る権利にこたえることを使命としている。オフレコ取材は、真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法で、結果として国民の知る権利にこたえうる重要な手段である。ただし、これは乱用されてはならず、ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべきである。

 日本新聞協会編集委員会は、今回の事態を重く受けとめ、右記のオフレコ取材の基本原則を再確認するとともに、国民の知る権利にこたえるため、今後とも取材・報道の一層の充実に力を注ぐことを申し合わせる。

        

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