「敵を作り殺す」ことの罪~濫読日記 [濫読日記]
「敵を作り殺す」ことの罪
「55人が語るイラク戦争」松本一弥著
「55人が語るイラク戦争―9.11後の世界を生きる」は岩波書店刊。2400円(税別)。初版第1刷は2011年9月29日。著者の松本一弥は1959年生まれ。朝日新聞記者。「ニッポン人脈記」チームデスク。「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長などをへて現職。プロジェクト「新聞と戦争」統括デスクも務めた。共著に「新聞と戦争」 |
ニューヨークの晴れた空が暗転した「9.11」から10年が経過した。米国第一の都市を堕落と退廃の都市バビロンに見立て、バビロンの塔、すなわち国際貿易センター「ツインタワー」への自爆テロを指示したウサマ・ビンラディンは西部の保安官気取りのジョージ・ブッシュによってお尋ねものになった。ブッシュはテロから9日後、議会で演説し「我々の側につくか、それとも敵側か」と、世界に旗幟を鮮明にするよう求めた。「テロとの戦い」=War on Terrorism=が始まった(当時、米国の比較的「知性的な」新聞までもがこの言葉をワッペンにしてキャンペーンをしていたのを覚えている)。
「やつは敵だ、敵を殺せ」が政治の本質だと喝破したのは埴谷雄高であるが、ブッシュの「政治」は、まさにこのことを地で行くものだった。イラクとの開戦に際して英国首相のブレアは米とともに戦うことを選択し、独仏は懐疑を示した。日本は、といえば当時の首相小泉純一郎はためらわず米とともに戦うことを選んだ。
今年10月、イラク支援を続ける高遠菜穂子が語ったところでは、人口2500万人のイラクでいま、国内外に約500万人の難民がいるという。12月14日、オバマはイラクからの完全撤退を宣言したが、イラクでは「戦争」は終わってはいないのだ。しかもこの戦争は「大量破壊兵器開発情報」がでっちあげられた「大義なき戦争」であったことが既にさまざまな形で明らかになっている。
この戦争への参戦プロセスは正しかったのか。英国、オランダでは独立調査委員会による検証作業が続けられ、オランダでは2010年に「イラク戦争は国際法違反」という結論が出された。英国はいまも検証作業を続けている。日本はどうだろうか。いまだ検証を求める声が大勢とはなっていない【注】。
イラク戦争をめぐる状況は、ざっとこのような感じだ。これを丹念に追ったのが「55人が語るイラク戦争」である。原型は2010年夏、朝日新聞に掲載された「ニッポン人脈記」である。
なぜ日本では、英国やオランダのような展開にならないのか。あの太平洋戦争と同じく、戦争責任は彼方へと押しやられ、「のど元過ぎれば…」となってしまうのか。イラク開戦当時、防衛庁長官だった石破茂は、小泉が記者団に米国支持を表明するのを聞いて「初めて聞いた」「閣僚懇でイラク戦争支持の是非が議論されたことはない」と証言する。これは、かつての無責任の体系の再現ではないか。
一方、ブッシュに「ノー」といった独仏。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは「ヨーロッパでは、第二次大戦やホロコーストの経験などを経て、各国が協力していく体制(EC)を構築しました。ある意味でそれは奇跡的なことだった」という。「参戦しない」判断の裏側に、第二次大戦の経験が生かされている。日本の場合とは、えらい違いだ。
この書では、「戦争とメディア」の問題にも踏み込んでいる。従軍取材―いわゆる「エンベッド取材」、日本語で言えば「埋め込み取材」の問題。しかし、これは拒否すればすむのか。現場=戦場さえ踏めないでいれば、結果として一方的な情報をうのみにせざるを得ない、というジレンマ。東京外大教授の西谷修は、呼称の問題も大きいとする。例えば「イラク戦争」「アフガン戦争」。いったいこれは「戦争」なのか。一方的な侵攻ではないのか。少なくともイラクやアフガンの国民からすれば、戦争ではなく侵攻である。敵側と「こちら側」―取材する側に、こうした壁ができてはいないか。西谷はこれをメディアウォールと呼んでいる。
実は、この書への関心の第一は、イラク戦争へのそれもさることながら、著者が「あとがきにかえて」のサブタイトルとして「『スロー・ジャーナリズム』の時代」を掲げたことだった。底の浅い「ファスト・ジャーナリズム」が幅を利かせ、政治もまた「ファスト政治」が横行する。きちんと検証を重ねる「スロー・ジャーナリズム」の重さを感じているのは私だけではないな、と思ったのだ。
国連の第一線からボランティアの思い、哲学・思想~いわゆる「関係の絶対性」をめぐる問題~にまで踏み込んだ。多角的に考えさせてくれる一冊である。
【注】イラク戦争の検証を求めるネットワークが2011年9月、4万人の署名を添えて政府に検証作業を要請した。また、衆参で100人近い国会議員が2010年12月に超党派議連を結成、検証作業へ向けた法案提出を検討している。
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