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ゲート社会が世界を牛耳る?~濫読日記 [濫読日記]

ゲート社会が世界を牛耳る?~濫読日記


「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン著)

 

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 「ショック・ドクトリン」は岩波書店刊。上下巻それぞれ2500円(税別)。初版第1刷は9月8日。著者のナオミ・クラインは1970年、カナダ生まれ。デビュー作「ブランドなんかいらない」がベストセラーになり反グローバリゼーションの語り部とされる。「ニューヨークタイムズ」などで記事を発表している。トロント在住。両親はユダヤ系米国人で、ベトナム戦争に反対しカナダに移住した。












 ソ連の崩壊で「ポスト冷戦」の時代に入りましたが、この時代の定義はなかなか固まりません。ある学者は、世界は米国の一国支配の時代に入るとの認識から「歴史は終わった」と告げ、ある学者は、イデオロギーではなく文明間の衝突が続く、と予測しました。ある政治家は地域的な紛争の中で生まれた武装勢力がテロリストとして超大国に立ち向かうとしました。「テロとの戦い」の時代だというのです。どれもが時代の一面をとらえているように思います。しかし、全体をとらえているでしょうか。

 20年ほど前、ポスト冷戦の時代が始まったころカリブ海の小国、バハマを訪れたことがあります。日本から米国に入り、フロリダ半島から小さなプロペラ機で島に入りました。治安は比較的よく、のどかなリゾート地といった印象でした。一定の観光収入があり、同じくカリブ海に浮かぶハイチのような極貧の島ではなかったように思います。島には、突き出た岬の一帯がゲーテッドエリアになっていました。完全武装のガードマンに守られて富裕層が住む地域です。高いフェンスが巡らされ、厳重なチェックがありました。もちろん、われわれは入ることすらできません。当時は珍しかった衛星放送のパラボラアンテナ(現在のようなコンパクトなものではなく、巨大です)が立っていました。直前に封切られた映画「007」のロケ地にもなったそうです。このエリアには専用のハーバーがありました。もちろん、ビーチは外部からは入れません。

 われわれは小さな飛行機で島を訪れましたが、本当の富裕層は米国からクルーザーで渡るのだそうです。一般島民の居住区は通らず直接、専用ハーバーから別荘へと入ります。そして米国で放映されているテレビ番組を見るのです。巨大なパラボラアンテナはそのためのものです。

 先日、テレビを見ていたらペルーの旅番組をやっていました。意外に思ったのはリマ市内の風景です。かつては治安が悪く、貧困層があふれていたリマには、ブランド商品が並ぶショーウィンドーが並んでいました。もちろん、今も貧困層はいるのでしょう。後に続いたアンデス高山のシーンでは昔ながらの貧しい人々が映っていました。しかし、リマにブランド商品が並ぶ光景は、かつては考えられませんでした。

 これもテレビ情報ですが、スリランカはいま高級ホテルが立ち並び、世界有数のサーファーのメッカになりつつあるようです。これも考えられないことでした。なにしろ「タミルイーラム」を名乗る武装ゲリラとの、激しい内戦が続いていたからです。スマトラ沖地震(2004年)による津波で一帯が軒並み被害に遭ったことと、タミルイーラムが政府によって壊滅状態にされ、リーダーのヴェルピライ・プラブハカランの遺体が発見されたと報じられたことで内戦が終結したことが大きいと思われます。

 ジャック・アタリの「21世紀の歴史」を読むと近未来的な世界が見えてきます。例えばこんなふうに書かれています。

 ――市場と次に民主主義は、各地で並行して混沌としながらも不可逆的に、世界で徐々に一般化していく。つまり、市場民主主義の一世界化である。こうした傾向は、エジプト、インドネシア、ナイジェリア、コンゴ、中国、イランにさえ見られるであろう。

 近年の北アフリカでの民主化革命を示唆しているようにも思えます。そしてアタリは、このように続けます。

 ――市場は、次第に公共サービスが現在担っている教育・医療・環境・統治権といった活動分野に、新たな収益の源泉を見出す。民間企業はこうした公共の機能の商業化を目論み、次にこれを大量生産できる消費財で代替しようとする。

 ――二〇四〇年ごろには、重要な事態が進行する。すなわち、市場民主主義を組織するコストが大幅に低下することで、産業界の全般の収益性は回復する。しかし、これは次第に国家の役割を無に帰させ、そして少しずつ多極化の秩序は破壊されていく。(略)経済成長の新たな財が登場するが、これは国家のさまざまな機能を代替する「監視」機能を持つモノである。筆者はこれを<監視財>と呼ぶ。

 市場民主主義が世界を支配する時代が来るとアタリは予測していますが、少し違和感があります。市場と民主主義の蜜月がどれだけ続くか。この点でアタリの見方はかなり楽観的ではないか、と思えるのです。

 例えば、「中東民主化」を旗印にイラクに戦争を仕掛けたブッシュ米政権をどう見るか。2003年に始まったイラク戦争について、200611月にフランスで出版された「21世紀の歴史」は、ほとんど触れていません。この戦争は実は、中東に民主化をもたらすというよりも、米国の多国籍企業の利害がもちこまれたもの、といった方が正確なように思います。現に、イラクの石油権益はほぼ米国の多国籍企業が掌握したと伝えられます。そうだとすると、アタリがいう「超民主主義」とはなんでしょうか。

 2004年のバグダッド。中心部約11平方㌔には通称「グリーンゾーン」がありました。ここにはリゾート地と見まがう巨大プールがあり、長椅子には男女がだらしなく寝そべっています。時折上空を飛ぶブラックホークがいなければ、とても戦場とは分かりません。厚さ5㍍の壁の外に出るには少なくとも車2台を連ねる必要があり、M16ライフル以上の火器が欠かせないのです。(ラジブ・チャンドラセカラン「グリーン・ゾーン」から)

 さて「ショック・ドクトリン」です。副題は「THE RISE OF DISASTER CAPITARISM」。直訳すれば「災害資本主義の台頭」。念頭にあるのは2005年にニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナと2004年のスマトラ沖地震ですが、むしろストーリーの骨格はアジェンデ政権転覆やブッシュのイラク戦争、ロシアのエリツィンによる暴虐的な自由市場の導入にあります。したがって訳者が「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」としたのは、正しい判断だったと思われます。そして筆者のナオミ・クラインは、2人のショック博士を登場させます。

 1人はスコットランド生まれの米国人精神科医ユーイン・キャメロン。世界精神医学会会長という、自らの専門分野の頂点を極める。洗脳実験の専門家。ナチのルドルフ・ヘスの精神鑑定を行った3人のうちの1人。彼は脳を正常に戻す方法として「白紙化」を唱えます。脳に一斉攻撃を仕掛けることで脳を脱行動様式化(デパターニング)する「衝撃と恐怖」作戦の提唱者。

 もう一人はシカゴ学派を率いる経済学者ミルトン・フリードマン。彼もまた社会を「デパターニング」し、純粋な資本主義の状態に戻すことを唱えました。「堕落以前」に戻すには、意図的にショックを与えること―。これが彼の理想でしたが、なにせこの理論は証明不可能です。なぜなら、何の規制もない白紙状態の社会など、世界のどこにも存在しないからです。そこでフリードマン学派は、自らの学説の正しさを証明するため、あくなき挑戦を繰り返すことになるのです。

 最初の実験は、1970年にアジェンデ政権が成立したチリで行われました。このころインドネシアで政権奪取に成功したスハルト将軍の「作戦」はおおいに参考になります。大規模な弾圧を先制的に行うことで、社会をショック状態に陥れるのです。反アジェンデ派は、正確にこの作戦をコピーします。こうしてアウグスト・ピノチェト将軍は1973年9月、政権奪取に成功します。将軍は一連の事件を「クーデター」ではなく「戦争」と呼びますが、奇妙なことに戦う側が一方にしかいない「戦争」だったのです。アジェンデ政権側はまったく無抵抗でした。軍事政権後の指針となる経済政策は500㌻にも及ぶ厚さから「レンガ」と呼ばれますが、主要な著者10人のうち8人までが「かつてシカゴ大学で経済学を学んだものだった」とナオミ・クラインは書いています。そして彼女はこう続けます。

 ――チリのクーデターは三つの明確なショックを特徴としており、これはその後近隣諸国で、そして三〇年後にイラクで繰り返されることになる。

 三つのショックとは。一つは軍事力によるショック。もう一つはミルトン・フリードマンによる資本主義的なショック。残る一つはユーイン・キャメロンの「ショック」です。薬物と感覚遮断による手法は拷問技術として体系化され、ラテンアメリカの軍や警察で実施されるCIA訓練プログラムを通じて広がっていくのです。

 南米の実験を出発点として、筆者の目は英国、東欧、中国、ロシアに注がれ、チェイニー、ラムズフェルドというブッシュ政権内のネオコン、すなわち元祖・惨事便乗型資本主義者への批判へと向かいます。彼らは米国内の公営企業を次々に民間委託していきますが、さすがに軍、警察、国境警備など政府の中核機能には一線を引きます。しかし、当初の民営化による利益があまりにも大きかったため、味をしめた企業はこれらの政府機能をもターゲットにします。米国内での「ショック療法」が始まるのです。これが戦争やテロとの戦いでもうける企業群の誕生につながったことは言うまでもありません。「対テロリズム・マーケット」なる言葉が生まれ、監視カメラなどセキュリティー産業は好況にわきます。アタリが予測した「監視社会」はこうして現実のものとなったのです。

 こうした、公共の民営化が行き着いた地点がハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズだともいえます。公共サービスはほとんど途絶え、ゲーテッド・コミュニティーの内側で高額だが優れたサービスを受ける人たち。貧困層は州政府の支援を待ち続ける。こうしたとき国民は一致団結して支援の手を差し伸べるはずなのですが…。

 ――ところがニューオーリンズから流される報道映像は、そうした常識がなんの公の議論もなしに放棄されたことをまざまざと物語っていた。

 ――少し前までは、災害は細分化したコミュニティー同士が壁を乗り越えて団結するという、いわば社会の水平化が見られるまれな機会だった。ところが状況は逆転しつつある。災害は、冷酷無情な分断社会―金と人種で生存できるかが決まる―という将来の姿を垣間見せる機会となってしまったのだ。

 グリーンゾーンはバグダッドだけでなく、米国内にもできつつあるのです。フリードマンが唱えた過激な自由市場主義は南米から世界をめぐり、いま米国内にブーメラン効果をもたらしているのです。このことが最近、米国を中心に広がっている反格差デモを生みだした背景とも思えます。日本もまた、一時は新自由主義が信奉された時期がありました。すべての規制は悪であるという思想です。このときの政策のつけを今もなおわれわれは支払わされている、というのは否定しがたい事実です。ではこれから、日本はどこへ向かうのでしょう。少なくとも津波と原発被害に遭った東北が、この惨事便乗型資本主義の餌食にならないよう、見つめていかなければなりません。


ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

  • 作者: ナオミ・クライン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/09/09
  • メディア: 単行本


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