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心が圧殺された時代~映画「ペーパーバード 幸せは翼に乗って」 [映画時評]

心が圧殺された時代~
映画「ペーパーバード 幸せは翼に乗って」

 ペーパーバード。紙で作った鳥。ちょっとできの悪いこの鳥は、羽をばたつかせても飛ぶことはない。

 スペイン内戦が終わってフランコ政権がファッショ体制を固めた1930年代。映画は、世界が加速度的に暗さを増したこの時代を生きる芸人たちの心の交流を描いた。そこで飛べない鳥、ペーパーバードが意味するものは。内戦で傷を負ったものたちの、交流のあかしとも呼べるし、彼らが求め続けたささやかな幸せの象徴ともとれる。おそらくはそのどちらでもあり、どちらであってもいいのだと思う。

 内戦で妻子を失ったホルヘ(イマノル・アリアス)は旅芸人の一座に戻ってくる。再会した相方エンリケ(ルイス・オマール)は孤児ミゲル(ジェール・プリンセプ)を連れていた。エンリケはミゲルに芸を教えようとするが、生きる気力を失ったホルヘは関心を示さない。一座にはとうのたった歌手、ドジな一輪車乗りたちがいる。どうしようもない連中だが、暗い時代を懸命に生きようとする。彼らとの交流を通して、ホルヘにも生きる力がわいてくる。そんな中でミゲルにも芸の才能を見いだす。

 ペーパーバード1.jpg


 ニュース映画を見ていたミゲルは偶然、スクリーンに母親の姿を見つける。ホルヘは彼女を見つけ出すが、内戦のショックで既に記憶は失われていた。ホルヘはミゲルを自力で育てる決意をする。しかし、ホルヘはフランコ政権から要注意人物としてマークされていた―。

 スペインの田舎をめぐる一座は、フランコ政権のもとで流浪する彼らの魂の風景のようでもある。しかし彼らはあくまで明るく、孤高である。そうした姿がフランコ政権の強権的な対応によって捻じ曲げられ、散りぢりにされていく姿は、涙を誘う。そしてこの一座にも、「ペーパーバード」のタイトルがリフレインのようにせつなくかぶさってくる。ホルヘとエンリケ、ミゲルのつくる疑似家族は本物ではない、飛べない鳥。やはり内戦の傷は消えないままなのだ。

 最後のシーン。アルゼンチンに移り住み、年老いたミゲルが顎のあたりにホクロを描く姿は感動ものだ。かつての母の面影―。そこには確かにホクロがあった。そして彼は、わずかの間だが「父」だったホルヘが口ずさんだ歌を歌う。

 ペーパーバード2.jpg


 人間の心の交流と、苛烈な時代の流れの双方を見事に描いた映画といえる。観終わってフェリーニとジュリエッタ・マシーナの「道」を思い出していた。底に共通するものを感じさせる。どこかの映画評論家ではないが「映画はいいものだなあ」としみじみ思う。

    ◇

 このところ、ヨーロッパのファシズムを批判的に描いた作品が目立つ。北ドイツの田舎を舞台にナチの源流を描いた「白いリボン」、イタリア・ファシズムの興隆の時代を描いた「ムッソリーニを愛した女」。そして「ペーパーバード 幸せは翼に乗って」。これは単なる偶然なのだろうか。


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たんたんたぬき

こんにちは、以前予告編で見て気になってはいたのですが見のがしました。近隣では上映が終わったので、ビデオ待ちです。
by たんたんたぬき (2011-10-08 10:22) 

asa

たんたんたぬきさん。お勧めの映画です。ぜひご覧になってください。
by asa (2011-10-20 09:38) 

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