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山の存在感はさすが~映画「ヒマラヤ 運命の山」 [映画時評]

山の存在感はさすが~映画「ヒマラヤ 運命の山」

 ラインホルト・メスナーは8,000㍍峰14座の登頂者として知られる。1970年から16年かけて達成した。その最初の山が「ナンガ・パルバット」である。「ナンガ・パルバット」―。インド最北部、インダス川を挟み、カラコルムK2の向かい側にそびえる。標高8,125㍍。メスナーによれば「ヒマラヤの西の角石」。現地ウルドゥー語を翻訳すれば「裸の山」。この山は標高差4,000㍍を超す巨大な壁を持つ。アイガーの実に3倍である。それゆえに、垂直の山肌には雪が付くことが少ない。「裸の山」なのだ。

 この山での体験をメスナー自身が著わした「裸の山 ナンガ・パルバート」は「わが生涯の最悪の道」と題された章で始まる。登山家メスナーの栄光の軌跡はなぜ「最悪の道」から始まるのか。ここには二つの意味が込められている。幼少期からともにイタリアの岩壁を登った弟ギュンターを失ったこと。もう一つはドイツ遠征隊の隊長カール・ヘルリヒコッファーとの確執。

 ヘルリヒコッファーの異父兄ヴィリー・メルクスはナンガ・パルバットで命を落とす。その時からこの山はドイツ人にとって「運命の山」になる。遺志をヘルリヒコッファーが継ぐ。そこにメスナーが加わる。彼の推薦によってギュンターも。メスナーが加わった動機はただ一つ。標高差4,000㍍を超すルパール壁を突破すること。

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 頂上アタックに向けて、メスナーらは通信手段について一つの取り決めをする。天候が崩れそうなら、赤い信号弾を打ち上げる。好天なら青。予測できなければ両方。メスナーの著書によれば、打ち上げられたのは「赤」だった。この場合、メスナーが単独で行ける所まで行く、と事前に話し合われていた。しかし、ギュンターがメスナーの後を追う。ザイルも持たずに。2人は登頂に成功する。しかしザイルがないためルパール壁下降の手段がない。ここで「登ったルートを下る」という鉄則を破り、2人はディアミール壁を下る。メスナーは自伝の中で「ルパール壁よりはるかにやさしい」と書いている。

 これが「ナンガ・パルバット」登頂をめぐる顛末だが、ベースキャンプのヘルリヒコッファーとは、いくつかの齟齬が生じる。第一に、当日の気象予想は「好天」だった。では、打ち上げられた信号弾は赤だったのか青だったのか。メスナーは後の調査で、「青信号のケースに赤い信号弾が入っていた」という関係者の証言を得ているが、はっきりしない。これがヘルリヒコッファーには、メスナーとギュンターによる「統制破り」の行動に映る。第二に、ルパール壁を登りディアミール壁を下るという「ナンガ・パルバット横断行」は、メスナーの野心と受け取られる。第三、ギュンターはどこで死んだかという疑問。ヘルリヒコッファーらは、高山病で動けなくなったギュンターは頂上付近で置き去りにされたと見る。第二次アタックに向かった2人の隊員が頂上直下を下降中のメスナーとやり取りをしているが、その際に2人の隊員はギュンターを見なかったと証言していることから導き出された結論だ。後にギュンターの遺体はディアミール壁の下部で発見されるが、これも「置き去りにされたギュンターが自力で下山した結果」とする声がついて回る。

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 さて、ヨゼフ・フィルスマイヤー監督の映画である。イタリア、ヒマラヤの山塊の映像は見事である。それに比して、メスナーと遠征隊をめぐる人間ドラマは比較的淡白に描かれている。特に信号弾をめぐる齟齬は丹念に描かないと、その後の確執は説明がつきにくいのではないか。この手の山岳映画は「山」が圧倒的な存在感を求められるだけに「二兎を追えない」というジレンマがいつもついて回る。この映画もまた同じ轍を踏んだか、という思いがしてならない。しかし、全体として標準以上のできであることは、疑いがない。ヘルリヒコッファーを演じたマール・マルコヴィスは好演といえる。

【注】「ナンガ・パルバット」の表記は多くが「パルバット」としているため、これに従った。ただ山と渓谷社刊「裸の山」(ラインホルト・メスナー著)は「ナンガ・パルバート」としているため、そのまま表記した。


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