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永田町の政治家は器が小さい [社会時評]

永田町の政治家は器が小さい

  菅直人首相が19日、危機管理内閣を発足させるため谷垣禎一自民党総裁に入閣を要請したが断られた。20日付朝日新聞によると谷垣氏は会見で「あまりにも唐突な話だ。新しい連立を作る提案だ。いきなり電話で『そうですね』というようなものではない」と述べたらしい。

 この言葉を、被災地の人たちはどう受け止めただろうか。谷垣氏の、政治家としての危機感の薄さに暗然とする。いきなり電話で「そうですね」といえばよかったのだ。そう答えれば、日本中の人間は喝さいを送り、被災地の人たちは奮い立っただろう。海外の見る目も違ってきたであろう。谷垣さん、政治家としての最大の出番を失いましたね。過去のわだかまりを捨てて黙々と政権を支えてこそ、自民党政権復活の道も開けたであろうに。
 首相の提案に対して、同紙によると自民内では「火事場泥棒」の批判もあったという。非常時に名を借りて政権の延命を図るという意味だろう。しかし、この声の主には本当の世論が見えていない。もしも、この事態を利用して政権交代を図るとすれば「火事場泥棒」と呼ばれるのはどちらか、火をみるより明らかだ。それも、震災で苦しむ人たちを人質にしての、
である。

 こうした局面を招いた要因として、もちろん菅直人という政治家の、あまりにも功利主義的な動きがあるだろう。しかしそんなことは言ってみてもはじまらないのである。こうした政権を作ったのは国民の意思なのだし、こんな政治家しか持ちえないのも国民の民主主義の力量によるものだからだ。

 いまさら言うまでもなく、東日本の復興は21世紀前半の日本の大テーマになるだろう。復興費はいくらかかるか。仮に30兆円だとすれば、日本の当初予算一般会計の3分の1にもなる。しかしそれは物資面に限っての話である。器さえあれば暮らしは成り立つわけではない。そのことは終戦直後の荒廃の中を生き抜いてきた人たちがよく知っていることである。

 福島原発は、最悪の事態は避けられるかもしれない。しかし高濃度の放射能がまき散らされたことの後遺症は深刻だ。周辺地域の人たちはもう一度住むために戻ることができるのか。農作物への風評被害は避けることができるのか。かつて広島、長崎の被爆者が差別的な視線に涙したような状況が生まれることのないよう、願いたい。

 亀井静香は震災直後から「救国体制」を呼び掛けていたという。だとすれば首相の決断の遅さもまた批判されるべきだろう。「政治とカネ」裁判に拘束された小沢一郎に対しても、過去のわだかまりを捨てて協力を求めるべきだ。未曽有の難局に臨んで小沢という政治家の持つ経験、力量を考えれば、「政治とカネ」などというくびきは無いに等しいと思える。 


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