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満たされぬ家族愛が生む孤独~映画「愛する人」 [映画時評]

満たされぬ家族愛が生む孤独~映画「愛する人」

 小津安二郎の「麦秋」(1951年)は老いた大学教授(笠智衆)のもとで行き遅れた紀子(原節子)が、周囲の善意の中である男性と結婚し、残された父親がひとり孤独をかみしめる、という映画だった。終わり近く、笠智衆の背中に宿る孤愁がとても印象的な作品だったと記憶する。

 唐突感は承知でいうのだが、映画「愛する人」を見てこの「麦秋」を思い出していた。日米間で国民性も文化も違うのだが、家族のきずなが断ち切られたときの孤独感が共通テーマであり、味わいであるような気がしてならなかったからである。

 14歳の少女が子どもを産む。子は母親に預けられ、養子に出される。それから37年。カレンは51歳になる。結婚はしていない。37歳になったエリザベスは弁護士として成功し、彼女もまた結婚はせず米国社会の階段を上るようにキャリアを積む。ここで予期せぬことが起きる。法律事務所のボスの子を身ごもってしまうのだ。彼女は事務所をやめ、ひとり子どもを産む決心をする。後を追ってきたボスは彼女との結婚だけでなく、仕事上の輝かしい将来をも約束するが、エリザベスは断る。そして出産の直後、死んでしまう。

 エリザベスはなぜ、キャリアを捨ててまで産もうとしたか。なぜボスの差し伸べた手にすがらなかったか。

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 彼女は間違いなく、実の父も母も知らず生きてきたことに対する強い思いを内側に秘めている。そしてこれから先も生きていくために、彼女は自らの最も奥ふかいところでこれ以上ない孤独と手を握り合っている。

 ではなぜ、身ごもった子を産もうとしたのだろうか。そこで彼女は、14歳で自分を生んだ母の人生をトレースしたにちがいない。月並みな言い方をすれば、逃れられぬ母と子のきずな、宿命が漂う。母の歩んだ人生を生きる決心をしたのである。だから彼女は37年間探すことのなかった母を探すのだが、果たせぬままに終わる。孤独は一段と濃い影を帯びる。

 カレンの母親もまた、カレンへの思いを秘めて人生を終える。死の間際、家政婦に漏らした「あの子を不幸にしてしまった」という言葉を聞いてカレンは泣き崩れるのである。すべての人たちが孤独に縁どられているかのようだ。

 エリザベスが残した子を訪ねてカレンは「私の母と同じ目をしている」と言って笑う。沢木耕太郎によれば「寒色系のキルトが暖色系に変わるかに見える」(111日付朝日新聞)瞬間である。彼女が遅い結婚を決意した後、男性の娘からの「血のつながりより一緒に過ごす時のほうが大事」という言葉が伏線になっている。しかし沢木の言うとおり、キルトは暖色に変わることはない。

 映画はエリザベスを演じたナオミ・ワッツの虚無的な美しさがなければ成り立たない。カレンを演じたアネット・ベニングもこのうえなく魅力的だ。原題「Mother and Child」(母と子)は直截かもしれないが、「愛する人」ではテーマが見えてこない。少なくともこの原題を頭に入れて見れば、読み違いはないだろう。ラブストーリーではなく「家族」をテーマにした社会ドラマである。ロドリゴ・ガルシア監督はもう「あのガルシア・マルケスの息子」と呼ばれることはないだろう。

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