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「国難」に際して~東日本大震災への所感 [社会時評]

「国難」に際して~東日本大震災への所感

 3月11日に発生した東日本大震災は未曽有の被害をもたらした。菅直人首相は、戦後66年で最大の危機、と述べたがその通りだろう。だが、その危機管理に関してはいくつか思うところがある。


 ■シナリオなき危機管理

 第一報を受けて官邸の立ち上がりは悪くなかった。しかし、その後の首相の振る舞いは、国民にはほとんど見えていない。節目で枝野幸男官房長官が会見しているが、いかんせん素人談義の域を出ていない。専門家でもない官房長官が原発対策を説けば、かえって国民は不安になるばかりだ。さらに現地の避難所対策、ライフラインの確保策、自衛隊等の救援策まで述べれば、明らかに個人の能力を越えていることが推察できる。別段、政治家としての枝野個人を批判しているわけではない。彼はむしろよくやっている。危機に立ち向かう官邸の対応が不十分ではないかと言っているのである。

 ではどうすればいいか。与野党、官民の枠を超えた震災対策本部を、今からでも立ち上げることだ。それは肩書に従っての「当て職」としてではなく、本当に専門的な知見と能力を持つ人間を配置することである。軍事アナリストの小川和久は3月17日付の朝日新聞で10人程度の司令塔チームを作ることを提案しているが、全く賛成である。ここが被害の掌握、避難者対策、ライフラインの確保、原発対策への指揮をとる。そして原則、毎日会見を行い、時時刻刻の対応を国民に知らせる。

 この司令塔チームの下に、それぞれの分野の対策チームをぶら下げる。もちろんそれは、官民の境界線を取り払ったチームでなければならない。


 ■シナリオなき原発対策

 先にも述べたように、枝野官房長官が原発対策を1人で取り仕切るのには、国民は明らかな不安感を隠せない。では東京電力や原子力安全・保安院が前面に立てばいいのか、といえばそれも心許ない。菅首相が思わず怒鳴ったように、特に東京電力の対応はよくないと思える。彼らはもちろん一生懸命やっているのだろうが、こんなときにどんな服装で会見に臨むか、あるいは会見は誰のためにしているか、という意識がほとんど感じられない。会見で「配った資料の何㌻にあります」などと言ったり、配った資料を棒読みしたりするのは最悪である。手書きでもいいから分かりやすく項目を書き記すとか、イラストを添えるとか、テレビを通じて記者だけでなく国民に伝えるという感覚を持たなければならない。

 こうしたことがなぜ起きるのだろうか。たとえ彼らが技術者として優れているにしても、それ以上ではない、ということを物語っている。もしそうなら、それぞれ補完し合う人間を入れてチームを組むしかないだろう。菅首相は原発事故対策統合本部を東電内に立ち上げ、自ら本部長に就いたが、ここにもっと強力な権限を与えるべきだ。官邸、東電、保安院、自衛隊、警察庁、場合によっては他国のスタッフも入れ、対策を練るべきだ。

 特別、原発に詳しいわけではないが、それでも米、仏、独で伝えられている福島原発に関するニュースと、日本国内で伝えられるそれとの温度差が気になる。すでに米仏は「スリーマイル」を上回り「チェルノブイリ」に近づくレベルの危機だとしている。米はまた、自国民を対象に日本政府の30㌔より広い80㌔圏外への退避を指示している。

 その一方で、政府や東電が実施している対策はほとんど後手後手で、先のみえないものばかり、と思える。国民から見れば「こんな原始的な手段しかないのか」と暗澹とする思いだ。言われているように「止める」「冷やす」「とじこめる」のうち、「冷やす」とはただ水をかけるだけ、というのでは国民の不安は募るばかりだ。

 既に「チェルノブイリ」や「スリーマイル」に匹敵する事故だという認識なら、国際社会に支援を求めるべきではないか。ここまでの対応を見ていると「最悪」を考えたシナリオとはとても思えない。


 ■シナリオなき電源管理

 「計画停電」という名の無計画停電が行われている。一体これはなんだろう。止めるなら止める、とはっきりしなければならないし、どこが止まるのかも明確でないなどとは、信じられない対策だ。これは東電という組織の体質から来るものなのか。

 それと、これはもちろん知っていた事実だが東日本と西日本でヘルツが違う問題。境界線をまたいで使うと電気製品に支障がある場合があるとは知っていたが、非常時に電気がやり取りできない、ということまでは知らなかった。いったいなぜこんなことが生じるのか。不思議と言うほかない。震災対策が一区切りついた時点で、きちんとした対策が講じられるべきではないか。


 ■シナリオなき復興対策

 40万人以上が約2500カ所に避難し、氷点下の寒さに震えている。一方で灯油もガソリンもない。水や食料もままならない。この状況はいつまで続くか。やはりここで死者6000人以上を出した1995年の阪神大震災はどうだったか、と思い起こすことになる。このときの避難者は約30万人、被害総額は約10兆円。全半壊家屋が25万棟で、東日本大震災の全半壊10万棟(現時点での推測値)に比べると多い。政府が組んだ補正予算は2カ年にわたり、計3兆2000億円だった。

 しかし、阪神大震災との大きな違いは、被災地で住宅を支えるインフラがほぼ全面的に失われたことだ。もっとも深刻な地域では、地面が下がり水没してしまっている。ここをもう一度整地しなおすのか。避難民の心情としては、もう同じところに住む気がしないだろう。となれば、町をそっくり高台に作り直すしかない。

 阪神の場合は被災前に住んでいた土地に仮設でも建てることが可能だった。それができないとなると、復興費用は阪神の比ではないだろう。政府が組む補正だけでも阪神の3倍、それ以上になるかもしれない。つまり10兆円単位になることが、今からでも想定される。仮設が建てられない地域では、町の復興が数カ月単位では収まらないとの見通しに立ち、大規模な疎開計画も立てられなければならないだろう。

 これらは待ったなしの作業である。人命救出を優先、などと甘いことを言っていてはいけない。すべて並行作業、走りながらの作業であるべきなのだ。


 ■シナリオなき永田町

 永田町はいま政治休戦にある。しかし、与党は機に乗じて予算関連法案の早期成立を求め、野党は反対する動きが出ているという。いまはそうしたことをしている時ではないだろう。ではどうするか。

 最短でも1年間、与野党救国内閣(名前はもっと適正なものがあるかもしれない)を作ることである。ありていに言えば、一時取りざたされた「大連立」である。この内閣で通すべき予算は通し、見送るべきは見送る。当面、震災対策のための財源をどうするか、という問題がある。自民党の谷垣禎一総裁は増税案を打ち出した。これでいくのか、特例国債なのか。増税でいくとしても、どんな形にするのか。少なくとも東日本は除外されなければならないのである(その意味では特例国債のほうがすっきりするが)。こんなことを与野党が小田原評定でやっていれば見苦しいとしかいいようがなくなる。

 期間限定の大連立を組んだら、期間明けに総選挙を約束することが条件になる。しかし、これは与党に一方的に不利益とは思えない。こんな言い方は不見識とのそしりを免れないかもしれないが、菅首相をはじめ、いまの政治家(野党も含め)にとってこの事態は政治家冥利に尽きるはずだ。その気概があるなら、こうした政治シナリオはあながち荒唐無稽ではないはずだ。


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