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美しい農村風景にひそむ闇~映画「白いリボン」 [映画時評]

美しい農村風景にひそむ闇~映画「白いリボン」

 実った穂が一面に揺れる。ところどころに森がある。モノクロの画面に広がる風景はこのうえなく美しい。ドイツ北部の農村。時は第一次大戦の直前。

 村のドクターがある日、落馬して骨折する。原因は道に張られた細い針金だった。その時から不可思議な事件が次々に発生する。村を治める男爵家、男爵家の家令一家、プロテスタント系の牧師、ドクター一家、小作人の一家、それぞれが絡み合い、ときにエゴ丸出しの行動に出る。それをひとりの村の教師の視線で描き出す。


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 厳しいしつけの牧師の家では、子どもたちに反省を求めるとき「白いリボン」を付けさせる。不可思議な事件の数々に、実は子どもたちが関わっているらしいと推測はつくのだが、判然とはしない。助産婦とドクターの欲望に満ちた関係。助産婦の子はある日、なぞの暴力を受けて失明を余儀なくされる。直後に彼女とドクターと子どもは町から姿を消す。

 すべては謎のまま、村人の心の闇と不安感が広がっていく。サラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたニュースが届く。だが村はあくまでも静かで平穏で、しかし不安である。

 セルビアの青年がオーストリアの皇太子を暗殺したのは1914年である。この翌年、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、ヨーロッパに戦火が広がった。ヒトラー率いるナチスが台頭するのは1930年代である。つまり、この映画で描かれた子どもたちの多くはナチスの中核を担ったと見ることもできる。そこをどう読むかでこの映画の価値と深さは決まってくるだろう。

 とにかく、モノクロの農村風景は比類なき美しさである。それだけに人間のエモーショナルな部分が際立つ。そんな映画である。厳しい戒律や共同体による子どもたちの抑圧がその後の時代に何を生み出したか。「白いリボン」とは、この村そのものへの「罰」ではないのか。そう読めば、日本的な田園風景の中で描かれた戦争、例えば増村保造の「清作の妻」(1965年)や若松孝二「キャタピラー」(2010年)とテーマの共通性を連想することも可能かもしれない。

 白いリボン.jpg

 
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