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軽い言葉、重い言葉 [社会時評]

軽い言葉、重い言葉

 市川海老蔵に暴行したとして逮捕状の出ていた男が1210日夜、出頭した。事件があった1125日未明から、15日ぶりのことである。もとはと言えば酔っ払い同士のケンカにすぎないはずなのに、空中戦を繰り返すうち話が大きくなった。この日も多くの取材陣が押し寄せたが、異常だったのは7日夜の海老蔵会見である。500人が取材に殺到、テレビカメラは60台にも上ったらしい。テレビのワイドショーで長島一茂が「もともと酔ったうえでの出来事。いい加減にすべき」と発言していたが、そのとおりだ。一茂が気のきいたコメントを発したのを、初めて聞いた。

 その海老蔵会見。聞いていて何かしら腹に落ちないものがある、と思ったのは自分だけではないだろう。後頭部が見えるほど頭を下げ、眉尻も下げるだけ下げ、上目遣いに質問に答えて1時間半を乗り切った。しかし、嘘っぽい。発言をよくよく聞いてみれば、自らの非は少しも認めていないのである。「自分にも悪いところがあった」などとは一言も言っていないのである。ではなぜ1分近くも頭を下げたのか。会見中、時折目を細めて考えるしぐさも見せていた。すべてが一見、それらしい。だがどこか違う。

 普通の人間は、あんな会見の場に出れば途方に暮れてどんな表情をしていいか分からぬままに仏頂面をするものなのだ。それをあれだけ表情豊かだと、演技に見えてしまうのだ。だから薄皮一枚の不誠実さが漂うのである。「役者だなあ」と多くの人間が思ったにちがいない。百万言を費やしても、海老蔵の心中を「分かった」とはだれも思わないだろう。一見真摯に見えて、実は言葉が軽い。

 言葉が軽い、と言えば、最たるものは柳田稔法相の辞任劇。「二つの言い方を覚えておけば、法相は務まる」といった趣旨のことを11月14日、地元での会合で言ってしまった。すったもんだの末に22日、辞任した。任命権者である菅直人首相は「本人からの申し出で」とコメントしたが、本人は辞任会見で「首相に説得され」と漏らし、シナリオをおじゃんにしている。これはもう、言葉の軽重の域を超えている。政治センスのなさというしかない。

 しかしこの柳田失言、どうもすっきりしないことがあり、調べてみた。第1報はどこでどう出たか、である。初報の印象がどうも薄かったのである。尖閣ビデオ流出や検察改革を抱える法相が、初めて里帰りする。地元紙はじめ全国紙もマークしたにちがいない。では、翌15日の朝刊で失言は一斉に報じられたか。これが違っていた。柳田発言が俎上に上ったのは16日の衆院法務委員会。追及したのは自民党の河合克行である。つまり、14日の時点で同行記者は全員聞き流していたのである。河合は法務委で「記録もあるし、録音テープもある」と言っている(17日付読売)。やや柳田に同情的な見方をすれば、河合のスパイにしてやられたのであろう。河合は衆院の小選挙区広島第3区と比例中国ブロックを1期ごとに交代する「コスタリカ方式」で現在4期目。なんとしても小選挙区オンリーで政治経歴を積みたいにちがいない。今回、柳田のクビを取ったことで「殊勲甲」である。

 で、このやりとりはどう報じられたか。17日の朝日は「国会論戦ここに注目しました」とカットがついた記事。要するにニュース扱いではない。読売は話題記事風。見出しは「二言覚えておけばいい」の後に「これでかわせる?」。柳田と同じ土俵で報道しているのである。毎日は、記事の掲載なし。地元紙はといえば、一応ニュース風だが2面の3段見出しという扱いが、問題意識のなさをうかがわせる。というわけで、このネタ、新聞は2回にわたって絶好球を見逃してしまっている。だからその後も「政治主導」でことは推移し、各紙の報道の生ぬるいこと。さらに恥の上塗りだったのは地元紙。辞任の翌日「重責軽んじた『未熟』発言」と見出しのついた記事を載せた。こんなことは辞任の前に書くべき事柄。辞任した後なら、他に書くべきことがあるはずなのだ。政治家も政治家なら、報道機関も報道機関という一幕だった。

 柳田法相が失言する前日、毎日の岩見隆夫は「近聞遠見」でかつての政治家の言葉を引き「いずれも言葉が鋭利だった」とした。柳田が辞任した翌日、北朝鮮の砲撃事件があった。その4日後の「近聞遠見」は吉田茂の「曲学阿世の徒」を引き、「最高指導者の迫力」と書いた。これらの事実を並べれば、今の政治に何が欠けているか、分かるはずだ。のんきな父さんたち、民主党政権の分水嶺はとっくに過ぎている。




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