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過ぎ去った時代は美しい~加藤登紀子を聴く [社会時評]

 過ぎ去った時代は美しい~加藤登紀子を聴く

 この人は不思議な人だ。あの時代をいつまでも引きずって、なお魅力的なふるまいをすることができる。彼女の夫は、あの時代を知る者にとっては「英雄」と言ってもいい存在だった。なぜ彼女がこの男と結婚するにいたったかは、よく知らないし、知ったとして何の意味があるだろう。

 加藤登紀子のコンサートを聴きに行った。古い歌もあったし、新しい歌もあった。中原中也の詩の1行を命とする「幾時代かがありまして」はとてもいい歌だ。特に加藤登紀子が歌うと、いい。こういう歌がこの人には似合っているとつくづく思う。あの時代を歌った、タイトルもそのものずばり「1968」、どうもこの曲は好きになれない。やはり、内容が直截なのだ。あの時代はとっくに脳髄の奥深くで表象化されてしまっている。そのままを出されても、ただ感傷に浸るほどわが身はもう若くはないのだ。けれど、加藤登紀子はそうではないらしい。この人は不思議な人だ。あの時代を知るものならすぐ連想する、機動隊のサーチライト風のステージ演出も、「ちょっとな」という感じなのだ。

 しかし、アンコールで歌った「百万本のバラ」はさすがによかった。この1曲が、彼女の命を際立たせている。

 彼女の次女がステージに立ったが、亡き夫にそっくりな風貌だった。六本木の防衛庁で「1968」の英雄となった、あの男に。やはり加藤登紀子は永遠に表象化されることなく肉体を持ち合わせた「1968」と向き合っているらしい。


 1968.jpg



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