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特捜部は解体すべし~検察の「焦燥落日」 [社会時評]

 特捜部は解体すべし~検察の「焦燥落日」

 前代未聞の事件が起きた。大阪地検特捜部主任検事による証拠改ざんである。報道によれば、証拠として押収したフロッピーディスク改ざんは当時の特捜部長、特捜副部長にも報告されたが「過失で処理しろ」との指示があったという。主任検事にとどまらず、元部長、元副部長も犯人隠避の疑いで逮捕された。
 これらのやり取りは密室での出来事であり、法廷でどこまで正確に立証されるかは予測がつかない。しかし、一連の出来事を見ていて浮上する大きな疑問は、「いまこうした組織が必要なのか」ということである。特捜は何のための組織であり、なぜこれほど腐敗してしまったのか。
 この疑問は、大きく二つのことで成り立っている。公訴権と捜査権を同時に握る強大な権力組織。これは諸外国にも存在するのだろうか。そして、なぜこうした組織が必要なのだろうか。捜査権を持つ警察と公訴権を持つ検察という仕分けではいけないのだろうか。特捜部に対するいわば「水平的あるいは空間的」な軸上の疑問点である。
 もうひとつは、かつてロッキード事件などで一定の存在感を示していた特捜がなぜ今に至ってこれほど空疎な組織になり下がってしまったのだろうか。これは時代の変遷と関係があるのだろうか。特捜部に対するいわば「垂直的あるいは時間的」な軸上の疑問点である。
 こうした疑問を解くための参考書となりうるのが、元共同通信記者・魚住昭著「冤罪法廷」である。一見すると際物的なつくりの書だが、内容はしっかりしている。
 実は、特捜の歴史はそれほど古くはない。10月2日付朝日新聞「時時刻刻」に掲載された「特捜部の歴史」によると、東京地検に「隠退蔵事件捜査部」ができたのが1947年、「特捜部」と改称されたのが1949年である。戦後に生まれた組織なのだ。この背景を「冤罪法廷」から引用する。端緒はGHQによる司法制度改革である。
 GHQは、当然のことながら陸海軍、特高警察といった戦前の権力組織の解体を進める。この中で、検察は「法廷の外へ出るべきではない」と考えられていたらしい。検察は危機感を抱き、必死の巻き返しの末に新刑事訴訟法で検察官の捜査権が認められたという。
 GHQが、検察を法廷担当に限定しようと考えた根拠は簡単である。米欧の考え方の主流がそうだったからである。一方、明治維新以来の日本的な考え方の主流は、検察官の捜査権を認めるものであった。その代表例として魚住は、衆院議院20人を逮捕した1909年の日糖疑獄、その翌年の大逆事件をあげる。結果として検察の「捜査権」は戦後も生き延びただけでなく、明確な形を獲得することになった。この後、「特捜」は世界に例を見ないガラパゴス的発展を遂げる。
 「特捜部」という名称が社会的に認められた1949年は、朝鮮戦争が始まった年でもある。米ソ冷戦時代の本格的な幕開けの年に特捜部はスタートした。こうした時代との関連性は大きな意味を持つと考えられる。
 冷戦をバックに、日本の政治史は大きな節目を迎える。1955年の保守合同である。大阪地検に特捜部ができたのが1957年。日本の保守政治の確立と歩を合わせる形で、東京、大阪に相次いで特捜ができたのである。言い換えれば、宮沢喜一内閣不信任によって自民党が下野する1993年までの38年間、特捜は同一の政治権力と共存してきたことになる。冷戦が続く限り、日本には安定的な保守政権が存在しなければならない。これは米国をはじめとする自由主義圏が求めた自民党のレーゾンデートルであった。しかし、長期政権は必然的に腐敗へと向かう。このジレンマ解消のために特捜は必要とされたのではないか。特捜の目標の第一は「巨悪を許さない」であった。これは、政権の長期化=権力の腐敗防止⇔恒常的な摘発という定式で説明できる。
 しかし冷戦は終わった。政権交代も起きた。本来、政治腐敗の防止は政権交代によって担保されるべきものである。すると特捜の存在理由とはなんだろうか。特捜という組織が一気に光を失った背景もこのあたりにあるように思える。標的とする政治家は小粒となり、しかも逮捕者からは公然と「国策捜査」の批判が噴出する。2006年のライブドア事件、2008年の小室哲也逮捕は何だったのだろう。一方は経済事犯の形式犯であり、一方は単純な詐欺事件ではないか。相手が有名人というだけで乗り出す特捜とは一体何なのか。
 「首相の犯罪」を裁いたロッキード事件は確かに大きなヤマだった。今でも覚えているが、目白の田中角栄邸を東京地検特捜部が訪れた1976年7月27日は、暑い朝だった。押した呼び鈴は通用門のそれだったと記憶する。この瞬間が特捜のピークであっただろう。しかし、有罪判決を勝ち得たこの裁判も、今から考えれば随分無理があった。コーチャンの嘱託尋問調書を反対尋問なしで証拠採用したこと。請託と職務権限は、果たしてあったのか。首相が直接、民間航空会社の機種選定に関与するということがあり得たのか。5億円授受の事実認定についても、いまだに「検事の作文」と疑問視する声が消えない。
 検察の調書には「特信性」があるという。普通、警察の調書は法廷で被告が否定すれば証拠能力は認められない。しかし検察の調書は特別で、被告が法廷で否定しても裁判官の判断で証拠能力が認められるという。もちろんそこには、検察の取り調べは強制も暴力もなくまっとうであるという前提がある。その神話は多くの事例によって否定されつつある。今回の厚生労働省・村木局長をめぐる裁判では、証拠採用すらされなかった。振り返ってみるに、この事件の端緒は「政治家の依頼」であった。この前提が崩れれば事件の全体像は雲散霧消する。にもかかわらず石井一参院議員に対して、「依頼した」とされる当日の行動をなに一つ確認しなかった特捜の捜査は、一般の警察以下だと言わざるを得ない。
 時代的な要請も、組織自身の能力も持ち合わせていない「特捜部」なる怪物は、もはや前時代の遺物としか言いようがないのではないか。


冤罪法廷 特捜検察の落日

冤罪法廷 特捜検察の落日

  • 作者: 魚住 昭
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/09/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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