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面白うてやがて悲しき~民主党代表に菅氏 [社会時評]

 

面白うてやがて悲しき~民主党代表に菅氏
 


松本清張の「顔」
「毎日」のコラム
代表選結果を分析
小沢はどうする?
代表任期への疑問

 松本清張の小説に「顔」というのがあった。ある劇団の俳優が映画に抜擢される。チョイ役だが存在感のある演技で注目される。実は、この俳優には隠さねばならない過去があった。ある犯行現場に向かう途中、列車で女と同席しているところを別の男性に目撃されている。この男性がそのときの情景を記憶しているかどうか、気になって仕方がない。しかし映画出演は願ってもないこと。そこで出演を承諾する。シーンは皮肉にも、列車内で窓の外を見ながら煙草をふかすところだった。あの日と同じように…。
 最終的に目撃者の記憶がよみがえるのだが、裏返して言えば、清張がにじませたのは人間の記憶とはいかにあやふやなものか、ということだった。
 現職首相が勝利する形で民主党の代表選が9月14日、終わった。菅直人と小沢一郎。代表選を通じて、日ごろ見ているようで見ていなかった2人の候補の顔をまじまじと眺めることになった。菅はやはり軽くて薄っぺらだった。小沢は重くて暗くて、しかし力はありそうな雰囲気を漂わせていた。
 愛読している毎日新聞の二つのコラム。岩見隆夫の「近聞遠見」と山田孝男の「風知草」。最近は「風知草」が、勢いがある。「近聞遠見」はやや押されぎみだ。たとえば「剛腕の先にあるもの」(9月6日付「風知草」)では「高速道路建設は地域活性化策には違いないが、土建重視の景気刺激で21世紀が開けるか」と切って捨て「政治と業界の関係の変化に合わせて、新しい仕組みをつくろうとしているんだと思います」と道路官僚に語らせるあたり、なかなかシャープだ。しかし「近聞遠見」。9月11日付では「西村画伯の『面相診断』」を載せた。「西村画伯」とは、このコラムの挿絵を描く西村晃一氏のことである。枯れた画風が持ち味だ。
 「菅はどれが本当の顔かわからない。明るいけど迎合的というか」
 「深みは小沢のほうがある。何でもさらけると深みがなくなる。小沢はわからないところが強みじゃないか」
 「小沢の顔は重いが、できあがった顔。これ以上変化もない」
 などと蘊蓄がある。ただ、西村画伯の見立てに比べ「(小沢は)隠されたものがわかりにくい」と締めくくる岩見の筆は、物足りない。
 いかにも誠実味のない作り笑いを浮かべて、中途半端にこぶしを振り上げ「どうですか、みなさん」と叫ぶ菅は、どう見ても安手の中間管理職だ(周囲から言われたのか、最近はこの「どうですか、みなさん」は影を潜めている)。顔だけを見ていると、小沢は菅を反転させた陰画をみるような印象がある。半端な仮面はかぶらない。仏頂面で通す。だが、人と会うときだけ大口を開けて笑う。これは理解できない。若いころ、政治家指南で学んだすべだろうか。若いころと言えば、小沢は「剛腕幹事長」と呼ばれたころの脂っ気はなくなった。結構、枯れた感じも出てきている。対する菅は、あまり「味」が変わっていない。昔も今も同じ「仮面」をかぶり続けている印象がある。
 さて代表選結果。これをどう見るか。9月15日付の新聞各紙は「大差で再選」と報じた。形の上ではその通りだ。既に分析済みだが、それを承知で言えば①党員・サポーター票は、ポイント上は5対1だが、実際の票は5対4。勝者総取り方式のためで、小沢サイドの死に票が多かった。ポイントほど小沢は大敗していない②国会議員票は206200でほぼ拮抗。これは「政治とカネ」疑惑を抱える候補が現職に挑んだ結果としては異例である。「現職の強み」を発揮できなかった菅の事実上の敗北だと見る。
 かつてロッキード事件で、厳正な捜査を主張する三木武夫首相を降ろそうとする、いわゆる「三木おろし」があった。弱小派閥出身で党内基盤を持たない三木首相は驚異の粘り腰を見せた。いったんその座に着いた首相を降ろすのは容易ではない。まして今回は「3か月で辞めさせるのか」という世論の壁がある。加えて根強く残る「小沢アレルギー」が、大勢として菅を選択させた。こんなところではないか。今回の対決をかつての「橋竜対小泉」もしくは「福田対大平」になぞらえる向きもあったが、いずれも違和感がある。「自民党をぶっつぶす」と言った小泉には、むしろ世論の積極的な支持があった。菅にはそれがなく、「反小沢」の消極的支持が、菅を押し上げている。大平と小沢をなぞらえるのは、田中角栄的な手法についてだけで、その他の資質はことごとく違っている。そうした中で、もろもろの逆風を考えれば、党員・サポーター票、地方議員票の「5対4」はむしろ、小沢の持つ構想力、政治的力量への再評価だと思われる。
 この結果を受けて今後、小沢はどう動くか。新聞や各種メディアでは「挙党体制」をキーワードに党内有力ポストを要求すると見る向きもあるが、その可能性は少ないだろう。小沢の立場に立てばすぐ分かることだが、菅政権が今後どれだけ続くかの保証はまったくない。むしろ、ねじれ国会の現状を見れば、すぐにでも行き詰まると見るほうが自然だ。だとすれば「静観」こそが最も妥当な方策である。俗な言い方をすれば「お手並み拝見」である。昨日の菅・小沢会談が9分で終わったことの意味もここにある。何もしなくても、半年後には予算通過という待ったなしの正念場がくる。
 最後に一つ、今回の代表選を通じて味わった違和感。民主党内の「内向き」の票だけで首相選びをしていいのか、という問題である。これまで自民党で続けられた総裁選=首相選びは、「交代可能な政党がない」という前提で成り立つ仕組みだった。これからは、首相は民主党からも、それ以外の政党からも選出されていいのである。とすればどうすればいいか。9月16日付朝日新聞社説は「任期のあり方を改めよ」と書いている。これも当面取り得る策であることは間違いない。しかし、長期的に見れば首相公選制、もしくは大統領制を考える時期にあるのではないか。今回の「しなくてもよかった代表選」を見るにつけ、その思いを強くする。もちろん、そのための前提として憲法改正、天皇制を含む国家のシステム変革に関する議論が必要であることは言うまでもない。


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