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魂の共和国を求めて~濫読日記 [濫読日記]

魂の共和国を求めて~濫読日記

「旅に溺れる」佐々木幹郎著 

 
 旅に溺れる_001.JPG ★★★★☆

 「旅に溺れる」は岩波書店刊。2000円(税別)。初版第1刷は2010年5月21日。
 佐々木幹郎は1947年生まれ。詩人。詩集「水中火災」「死者の鞭」。エッセイ、評論集「中原中也」「アジア海道紀行」
 










 佐々木幹郎は放浪者である。アジアを放浪し、日本の僻地を放浪する。なぜか。永遠を求めているためである。永遠の、魂の共和国。瞳に映っているのは、そのような共同体だ。彼は以前「雨過ぎて雲破れるところ」を著した。「真面目に遊ぶ」をモットーに、詩人のコンミューンを夢見て山小屋の交友録を記した。底を流れるのは、現世を「うたかた」と見る思想であった。うたかたにすぎないこの世から、時空を超えた永遠の世界を見はるかす。そうした文章が「旅に溺れる」に収められた。
 構成は、大きく分けて三つに分かれる。地方をへめぐっての印象記、アジアを舞台にした、生と死の往復書簡のごときもの、身辺をテーマにした雑記帳のごときもの。地方をへめぐる印象記の多くは伝承の祭りをテーマとする。その中に永遠の共和国へ向けたまなざしがひそめられている。
 「終戦間際以外は、この村では、能役者に届いた赤紙は破られたんです。役場もそのことを受け入れました」(「雪の夜に、打ち囃して」)
 山形市鶴岡市の秘話である。
 この章の中で、二つの文章は異質である。「落ちているのは水ではない。白い気体だ」と書く「飛沫論」は、基本的に全編が「詩」である。つまり詩人・佐々木幹郎のレーゾンデートルを表す。「旅に溺れる」は、古びた神社のある砂浜に800年の時を超えた既視感を込める。悠久の紀行の記録。標題でもあるように、この書のレーゾンデートルを表す。
 圧巻は二つ目のテーマ、すなわち「生と死の往復書簡のごときもの」である。中でも「生者と死者をめぐる対話」は、佐々木でなければ書けない悠久と雄大さをはらむ。人間はいつから死者を墓に葬るようになったか。世界の民族はどのように死者を葬るのか。シベリアのツンドラ地帯では樹上に死体を置き、墓とするらしい。南西アジアでは、死体をこの世から消滅させてしまう。だから鳥葬は最高の葬礼法となる。俗人は輪廻の世界に生まれるとする思想が、そこには色濃くにじむ。めったに見ることのできない鳥葬場を見た著者は「まるで抽象彫刻のように美しい風景」と書く。
 鳥葬場もそうだが、標高3800㍍にあるローマンタン。白い雪をかぶった高峰と砂漠の間、風の都、地の果ての都のように佇む町並みの写真はこのうえなく美しい。
 そして三つ目のテーマ。たとえば「うどんの作り方から学ぶ文章の『引き算』」。「きつねうどん」の元祖と言われる店の主人の言葉。
 「うどんというのは大衆的な食べ物でっさかいに、百点満点の味やとおいしいない。最高の味やったら、毎日食べられまへんやろ。料理人の側が『我』を出したら駄目。百点満点の腕を持っていても、なお八十五点から九十点の味で止めておく。そういう引き算が、おいしいうどん作りのコツですな」
 まぎれもなく「名人」の言葉である。

旅に溺れる旅に溺れる

作者: 佐々木 幹郎

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/05/22
  • メディア: 単行本

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