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藪蛇政治家・鳩山由紀夫の罪 [社会時評]

 藪蛇政治家・鳩山由紀夫の罪


 よほど「パンドラの箱」を開けるのが好きな人らしい。沖縄で懲りずに、またやってしまった。「小沢さん、ここは一緒に引きましょう」と言ったのは一体何日前のことか。舌の根も乾かぬうちに「小沢氏を支持するのが大義である」と言う。そんなことを言うから小沢は戦闘モードになる。鳩山由紀夫。次の選挙では引退するはずではなかったのか。なぜここに至ってキングメーカーのような振る舞いなのか。それとも「民主党のスポンサーは俺だ」という思いが渦巻いているのか。
 そう思ったら、民主党内は「挙党体制」を条件に代表選回避へ傾き、もう一度「代表選」へと振り子が振れた。挙党体制と言ったって、早い話が「俺も入れてくれ」と言うだけのこと。さすがの菅首相も断らざるを得ない。仙谷と枝野を切って、小沢に党を任せる。そんなことをしたら、自身も言うとおり菅は政治家としての命脈を絶たれる。
 菅の言葉に従えば「民主主義は交代可能な独裁」である。このことを否定する気はない。託された権力を使うことにためらいがあってはならないし、密室の取引があってもならない。山口二郎の言を待つまでもなく、政党(パーティー)の語源はパート(部分)である。部分が全体を仕切る。ここに民主主義の根幹がある。だからこそ、政権交代もなければならない。部分がいつまでも権力を握れば、社会にひずみが出るだろう。政党が「全体」や「永遠」を標榜すれば、ろくなことにはならない。限界を踏まえたうえで権力を行使する。その意味では、菅が「挙党体制」という名の人事取引を拒んだのは、正しい選択だ。こんなところは、国民は見ているに違いない。
 小沢はいったん身を引いたのである。なぜ菅の政治を見守ることができないのであろうか。「菅は左の小沢」という見方がある。権力志向。軸のなさ。理念のなさ。実利主義。そして、最大の共通点は既存のシステムに対する破壊志向。そうした政治家としての土壌が生み出す近親憎悪だろうか。
 しかし、代表選は始まった。こうなればきちんと決着は付けなければならない。勝敗の読みなど、してもせんないことだろう。
 8月31日の午後、菅と小沢は2人だけの会談をして、対決に踏み切った。そこで何が話し合われたか。ともに直後の会見で語っていたが、「党を割らない」ことの確認ではなかったか。権力を志向するがゆえに党を割ったのでは元の黙阿弥である。2人とも、権力を捨てて下野する気はないだろう。そんな政治家ではない。そのために、泥仕合は避ける。「政治とカネ」には触れない。ガチンコといっても批判は寸止めにする。こんなところだろう。あとは昔話でもしていたにちがいない。
 しかし、どう考えても、しなければならない選挙とは思えない。藪の蛇をつついた鳩山の罪が大きいような気がする。そういえば、もう10年以上前になるだろうか。鳩山は民主党の代表のころ、中韓を訪れてしなくてもいい謝罪をしていたような記憶がある。とすると、これは鳩山の基本的な素地なのか。目先の人たちに、耳ざわりのいい話をする。そして、あらためて思う。鳩山も、小沢も菅も、なんとビヘイビアの軽いこと。

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