SSブログ

矜持と罪の意識のはざまで~映画「グラン・トリノ」 [映画時評]

矜持と罪の意識のはざまで~映画「グラン・トリノ」 

 クリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」をDVDで見直した。昨年公開されたが、クリント・イーストウッド演じる元米軍人がなぜ結末のような行動に出たのか今一つ読み切れなかったためだ。

 

 簡単にストーリーを説明しよう。

朝鮮戦争で戦功をたてたポーランド系米国人ウォルト・コワルスキーは復員後、フォードの工場で働く。製造にかかわった1972年製「グラン・トリノ」が彼の宝である。米国中西部の町(デトロイトと思われる)で年金生活に入り妻を亡くす。息子たちと暮らす気にもなれない。施設に入ることを勧められるが、それも断る。そんなとき隣家にアジア系一家が越してくる。街のアジア系不良たちとのトラブルに巻き込まれた彼らを、義侠心から助ける。トラブルは深みにはまり、若い娘が凌辱される。コワルスキーは許せず、行動に出る。丸腰のまま対峙し、内ポケットからライターを取りだすが、おびえた不良連中の銃弾を浴び死んでいく。

 

 冒頭、妻の葬儀の席。コワルスキーの表情を見て息子たちがつぶやく。「今も50年代だと思っている」―。愛用のライターには第一騎兵師団の紋章。1952年に朝鮮半島から復員し、以来米国軍人の誇りを持ち続けているのである。しかし社会は大きく変わる。車はトヨタやホンダが主流となり、町はアジア系が幅を利かす。主治医でさえアジア系に変わってしまう。

 コワルスキーは軍人としての矜持と義侠心を持つが、一方で偏狭な人種観も捨てきれない。「イエロー」がわがもの顔でいることに耐えきれないでいる。

 

 時代背景を見てみよう。1950年に本格化した朝鮮戦争では200万人が亡くなったという。この死者数は異常である。フォードの名車「グラン・トリノ」は、いうまでもなく米国の輝かしい時代の象徴として登場する。では、この車が作られた1972年とは。ニクソン大統領が電撃訪中した年でもある。これを境にインドシナ半島からの米軍撤退が日程に上る。信じて疑わなかった米国の正義が揺らぎ始めたときなのだ。朝鮮半島で始まった米国の戦争がインドシナ半島で敗れる。それが1972年である。ちなみに、この朝鮮戦争とベトナム戦争を合わせてアジア30年戦争とみる見方もある。つまり1972年は米国社会が下り坂にかかる直前の、一つのピークであったと見ることができる。

 

 しかし、コワルスキーはただ「英雄であった」ことに酔いしれていたわけではない。アジア系の少年に告白する。戦争での経験は「おぞましい記憶」であり「命令でなく自ら(殺戮を)やったということが恐ろしい」。祈祷師からも心の内を指摘される。「過去に過ちを犯し、自分を許すことができない」。実は、彼が救おうとしたアジア人とは、ラオスなどにテリトリーを持つモン族であった。ベトナム戦争で米軍に協力し、共産圏勢力の報復を恐れて米国に移住した-という設定である。映画の中で朝鮮半島とインドシナがこうして結びつく。

 

 米国文化の象徴である「グラン・トリノ」を宝物のように持ち、軍人の矜持を捨てずに周囲からは頑固者と見られている。一方で、戦場で犯した行為の罪の意識は消えない。米国社会が落日であることもよく分かっている。そんな中で「イエロー」たちを撃ち殺して、どれほどの名誉があるのか。老いた体には病魔も忍び寄る。

 「アジアの少年との友情を守った」―と言えば分かりやすいが、コワルスキーの心中はもっと屈折している。軍人としての矜持を守ることで、落日の米国社会に殉じたのである。最期のシーン、銃ではなく師団の紋章が入ったライターを手にするところに、その心を読み取れる。死んでいく彼の目には、機銃陣地掃討作戦からただ一人生き延びたという、あの朝鮮半島の荒野が映っていたに違いない。

 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(2) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2