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「核密約」報告書への違和感~岐路に立つ日本 [社会時評]

「核密約」報告書への違和感~岐路に立つ日本
 

 *まかり通る学者の論理

 *外交交渉の検証は必要

 *では日本外交はどこへ

 

 日米の密約に関する有識者委員会の報告書が3月9日、岡田克也外相によって公表された。報告書では調査対象となった4つの外交交渉について「狭義の密約」「広義の密約」「密約にあらず」との分類をしている。こうした分類にどれだけの意味があるのか、違和感がある。国民不在の外交が行われたことこそが問題ではないのか。もっと言えば、今回の検証を通じて日本はどこに向かうか、掘り下げた議論が必要だ。

 

 報告書は①公表された合意や了解と異なる内容を持つ文書の存在=狭義の密約②公表と異なる暗黙の合意・了解の存在=広義の密約③公表と重なる部分を持つ合意・了解=密約と認定せず-という「密約の定義」から入っている。いかにも学者の調査報告書らしい。対象となった4つの事例をそれぞれのカテゴリーにあてはめて、それがどれだけの意味を持つのだろう。表向きとは違う文書を作って、互いに隠しておく。これはまだいいほうではないか。なんとなくお互いの認識が違っていることは分かっていたが放置しておいた-。これで外交と言えるのか。報告書で言えば60年安保改定時の核持ち込みの解釈に関する部分だ。それを3年後の大平・ライシャワー会談では米側が一方的に「核の寄港・通過は『持ち込みにあらず』」と説明して日本側が黙っていたから密約が成立した-。こんな分類に意味があると思うのは学者だけではないか。

新聞もほとんどこうした視点の批判を載せていない。見た限りでは、共同通信配信と思われる佐藤優・元外務省主任分析官の「論点のすりかえだ」とするコメントぐらい。佐藤はこの中で「有識者委員会の議論は、直近の政権交代まで政府が国民にうそをついていた点をあえてぼかし、密約の存否に論点をすり替えている」と言っている。

 調査対象の中で唯一「密約と言えず」とされたのは沖縄返還交渉での「核再持ち込み」のくだり。その理屈はこうなっている。佐藤・ニクソン首脳会談で共同声明が発表され、その中で言及している▽密約文書ではないかとされた首脳会談議事録は佐藤自身が私蔵したためその後の内閣に引き継がれていない-。

そこで、あらためて共同声明を読み返してみた。確かに、そのつもりで読めばそう読める。例えば、声明にはこうある。

 (総理大臣が、核兵器に対する日本国民の特殊な感情を説明。これに対し)「大統領は深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖縄の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した」【注①】

 つまり、日本国民が核兵器に対して特別な感情を持っていることを理解、それに配慮しながら有事の際は事前通告をし、核兵器を持ちこみますよ。日本はそれなりに対応してください。と言っているのだ。佐藤が私蔵した議事録にはこうある。

 大統領「米国政府は、(極東で)重大な緊急事態が起きた際、日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とするであろう」

 首相「事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」

 議事録は両首脳の署名が入っている。しかも極めて具体的だ【注②】。

 

 議事録にある意味を、共同声明から読み取るのは無理があるのではないか。事実、当時の新聞は沖縄返還を「核抜き・本土並み」と大きく報じ、国民はみなそれを信じていた。信じないとしても、政府はそうアピールしている、と思ったに違いない。「私蔵」の件にしても、日米両首脳のサインのある文書である。これが外交上意味をなさないとするのはどんなものか。この点で疑問を呈したのは信夫隆司・日大法学部教授だった(10日付毎日新聞が最も扱いが大きい。読売新聞も小さく載せている)。田中明彦・東大大学院情報学環教授は「合意議事録の内容自体は、69年の日米共同声明を読み込めば論理的な帰結として、そのような合意があり得ることは分かり」と10日付読売新聞に書いているが、これはつまり「佐藤首相が二枚舌でうまくやった。だまされた国民と報道機関が悪い」ということになりはしないか。

 

 要は多かれ少なかれ「密約」なのであり、カテゴリーによる分類に比重を置くと物事の本質を見誤る。

 

 しかし、かといってこうした過去の交渉過程を明らかにすることが無意味だと言うつもりはない。外交交渉はときに秘密裏に行わなければならない。そのうえで、では外交の責任はだれが負うのか、という問いを発しなければならないからだ。そのための報告書である。言いかえれば国民と歴史に対して明確に責任を負う姿勢が歴代の宰相にあったのか、ということでもある。振り返れば日本が核政策を転換すべき契機が何度かあった。例えば「核は持ち込まれている」としたラロック証言、ライシャワー証言。あるいは冷戦終結を受けてブッシュ大統領が戦術核の艦船配備をやめた1992年。歴史意識を持たない宰相たちによってこうした契機はみすみす見逃されたのである。

 自民党内からは「当時の苦渋の決断を考えると酷ではないか」といった声も聞こえるが、この人たちは為政者の責任とは、いったい誰に対して負うべきだと思っているのだろう。

 近年、ソ連の崩壊や東欧革命を掘り下げた本格的なノンフィクションが次々と世に問われている。歴史的な事実が確定するまでには20年が必要だったのだとあらためて思う。日本外交の史実もいずれ明らかにされなくてはいけないのだ。そのスパンも短くて20年、長くて30年ではないか。外交文書の保管・公表の徹底を有識者委員会は求めている【注③】。為政者の歴史意識の徹底のためにも、これは実現すべきだろう。その意味では、当然あるはずの重要文書がいくつか調査から抜け落ちている、という事実は大きい。

 

 報告で明らかになった「核持ち込み」に関する日米間の認識の違いを受けて、非核3原則から「寄港・通過」を外す非核25原則化や、もともと3原則+α(つまり非核35原則)だったのだからこれを「3原則」にしようとする動きがある【注④】。今必要なのは、小手先の技術論や解釈論ではない。今回の報告書で明らかになったことの一つに、日本側の動きを「過去の問題」として静観する米国政府の姿勢がある。冷戦が終わり、当時の外交交渉の舞台裏を明らかにすることは国益に何の意味もなさないと米側は見ているのだ。だからこそ米側は関連文書を既に公開している。つまり、今ほど「非核」を障害なく主張できる時期はないのだ。これはもちろん日本は依然として核の傘に頼るのか、核なき世界に向かうのか、という命題に直結する。少なくとも北東アジア非核地帯構想(姜尚中によれば「東北アジア非核地帯構想」)を推進するうえでは、米の核兵器持ち込み(寄港・通過を含めて)是認という選択肢はないだろう。

 明らかになったいくつかの事実を受けて(明らかになっていないこともある。例えば60年安保改定時の交渉を裏付ける文書はほとんど出ていない)、日本と世界の進路を考えることが重要と思われる。

 

【注①  】「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」から。

【注②  1223日付朝日新聞から抜粋。

【注③  】3月10日付朝日新聞。

【注④  】1月19日付朝日新聞「特集 安保条約50周年」での岡本行夫・元外務省北米一課長の発言。

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