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国母問題~日本的なるもの [社会時評]

国母問題~日本的なるもの 

 なんとも低次元の問題が世間をにぎわせた。こんなことで盛り上がるとは日本も太平楽、というほかない。腰パンでレゲエ風のヘアスタイル(ナントカというらしいが忘れた)、それに気の抜けた会見の受け答えでバンクーバー冬季五輪スノーボードの国母和宏選手(21)が反発を買った。

 テレビの情報番組を見ていたら、この問題でのニューズウィーク日本版編集長の竹田圭吾と元シンクロスイマー小谷実可子のリアクションが面白かった。小谷の「絶対許せない」とのコメントに竹田が「どうでもいいんじゃないの?」的なコメントで返し、小谷が「だってダメですよ」とやり返す。例えば

 

 教師「この子にも将来があるし、言い分もあるのでここは穏便に…」

 ある母親「だって校則を破ったんですよ。ダメなものはダメですよ」

 ある父親「校則を破ったぐらいで…。だからどうなんですか」

 ある母親「えっ、そんなこと言っていいんですか」

 

 みたいな、どこにでもありそうな会話。

 竹田は米国でスポーツ取材をした経験があり、こうした問題でやや距離を置いた見方ができるのだろう。小谷はその反対だ。

 腰パンが自己主張でありスタイルだ、というのも貧しい話だが、それと同次元で「ダメ」だというのもやっぱり貧しい。さらに「日の丸を背負っているんだから」と言いだすと、本多勝一ならずとも「貧困なる精神」と言いたくもなる。五輪に日の丸だのニッポンだのと言うからややこしくなるのだ。五輪はただの国際運動会にすぎない。スポーツを通じて国境を越えたつながりができればいいし、それが平和につながるなら言うことない。ただし、間違えてはいけない。平和を訴えるために五輪を、ではない。平和は必ず「誰かのための」平和なのだ。そんなことをすれば、どうきれいごとを言っても、政治的な宣伝につながる。

 国母がスノーボードでメダルでも取れば、もっと面白い議論になったのだろうが、そうはならなかった。これは勝負の世界だからしかたがない。

 そもそも、スノボが五輪種目であることに何か落ち着かないものがある。それはなぜか。例えばゴルフを五輪種目に、と考えたときに似た違和感だ。では逆に「落ち着く」種目とは。肉体をシンプルに使ってプリミティブに競う。陸上とか水泳とか。五輪をスポーツ大会として見ると、こうした種目がやはり「王道」だろう。しかしスノボは少し違う。サーフボードを雪上で滑らせたら、といった遊び心から生まれたスポーツだからではないか。遊びは文化に通じる。つまりスノボは既に一種の「文化圏」を持ってしまっている。ファッションもその一つだろう。口下手な国母クンが言いたかったのは、このことではないか。だから彼はスタイルにこだわり「勝ち負けより自分の滑り」「リアルなスノボを追求する」と語る。

 この「わが道にこだわる」+「説明をしない」の例を最近いくつか目にする。民主党の小沢一郎幹事長と大相撲の元横綱朝青竜だ。ともに世間からバッシングを受けた。国母問題もこの線上にあるような気がしてならない。と思っていたら2月15日付日経新聞のコラム「核心」に似たような指摘があった。筆者の西岡幸一は小沢と朝青竜に最近のトヨタを加え「憎たらしいほど強いが、わが道を行くアンチヒーロー」とくくっていた。国母クンがこの仲間に入れないのは「憎たらしい強さ」がないためなのだ。逆にいえば、結果が伴っていれば「アンチヒーロー4人組」になっていただろう。惜しいことをした。

 朝青竜といえば、16日付毎日新聞に会心の記事が出ていた。「朝青竜引退に寄せて」と題した記事の筆者は小長谷有紀・国立民族学博物館教授。メーンの見出しは「ありがとうと言えない日本」。その通りだ。日本はあれだけ朝青竜に世話になったのだ。バッシングの前に「ありがとう」というべきだろう。伝統と格式を言う割に、日本人自体がそれを背負ってはいないではないか。小長谷教授の言うとおり「物議を醸す朝青竜によって、私たちは自画像を見据えることができたのだ」。狭い島国から世界に出ていけば「恥さらしなことはするな」と言い、大陸から来た若者にはこの島のしきたりを押しつける。なんともはや。

 最後に、「落ち着きの悪い」スノボがなぜ五輪種目になったか。19日付のある新聞にヒントが出ていた。1994年にIOCのサマランチ会長がごり押しして決めたのだという。背景にはスキーの斜陽化がある。若者の間で流行っていたスノボを取り入れ五輪人気の維持を図ったという。

 前にも書いたとおり、五輪の商業主義は1984年のロス五輪で確立した。その柱は①テレビの放映権料②スポンサーシップ③入場料―だ。ユベロスが考えだしたこの利権構造をIOCに組み込んだのはサマランチ会長である。だからゲレンデの嫌われ者だったスノボ採用にも剛腕を振るったのだ。

 こうした経緯を見ると「スノボ文化」にこだわる国母クンの姿勢は理解できないこともない。別の言い方をすると、オリンピックってそれほどのものなのかね。

 
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