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寓意なき映像美~「アバター」 [映画時評]

寓意なき映像美~「アバター」  

 「アバター」がなかなかの人気らしい。「タイタニック」以来のキャメロン監督。10数年ぶりの映画だろう。とにかく、この人は観客を喜ばせる映像を作るのがうまい。で、その結果、世界での興行収入は10億ドルを超えたという(「タイタニック」は18億ドル)。3D映像がどんなものか、百聞は一見にしかずで体験してみた。
 地球からはるかかなたの衛星「パンドラ」。ここには人類にとって貴重な資源がある。先住民の制圧のため、彼らの肉体と人間のDNAを組み合わせた「分身」(アバター)が作られる。この「フィジカルスーツ」とでもいうべき最先端技術の粋を着込むのは、戦争で下半身の自由を失った元海兵隊員。先住民の社会へ送り込まれ、そこで彼らとの絆に目覚める。よく知られているように、ケビン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブス」のストーリーを臆面もなく取り込む。パンドラの怪鳥の群れを見たジェイク(サム・ワーシントン)が「一緒に踊ろうぜ」というあたりに、確信犯のにおいがする。
 そういえば、この映画の結末はアバターとパワードスーツの対決だ。当然のことながら、アバターと先住民「ナヴィ」の娘が手を組み、武装スーツを打ち破る。形態こそ違え、どちらもやわな肉体と魂が最先端の科学技術で武装する、という構造を持っている。これはキャラクターにとどまらず、実は映画そのものの構造でもあるのだ。かつての、白人とインディアンの娘とのストーリーが最先端の映像技術でどう生まれ変わるか。キャメロン監督の視線の焦点はその辺にあると見た。
 さて、その最先端の映像技術である3D。これは文句なく楽しめる。パンドラのさまざまな風景や、戦闘シーンは眼を奪う。だが、それらの映像がどのような意味(メタファ)を内包しているかについては、今ひとつ明確なメッセージとして伝わってこない。
 「ダンス…」をベースにしたためだろうが、先住民ナヴィがそのまま米インディアンのコピーなのはどんなものか。SF映画でよくある現象だが、キャラクターが突然、古代風になったりする。22世紀という時代と映画の設定がマッチせず、まだら模様の印象がぬぐえない。例えばDNAと別の肉体をリンクさせるという先端技術を持ちながら、戦闘シーンに登場するのは相変わらずの火器ばかり、というのはどんなものか。一方で、弓矢で武装した先住民が重火器とヘリ(22世紀でも「武装ヘリ」なのだろうか)に勝ったのでは、物語を荒唐無稽に貶めてしまう。ここは、地球から来た人類の横暴によって先住民が滅びゆく、という展開のほうが、ストーリーに深みが出るだろう(しかし、興行を考えればやっぱりハッピーエンドを選択することになるか)。
 人類の横暴といえば、象徴的なシーンとしてナヴィのコミュニティの精神的な支柱である馬鹿でかいスケールの巨木が倒されていく。これなどは、間違いなくあの9.11での貿易センタービル倒壊がなぞられている。ただし、ここでは倒されるのではなく、倒すということになっている。貴重な資源をめぐる先住民との確執は、現代のイスラム世界との「文明の衝突」だというメタファが込められているとすれば(「ナヴィ」は祈りと絆の社会として描かれている)、この巨木の倒壊によるカタルシスは米国社会が持つ文明的なトラウマだといえなくもない。それから、「アバター」に反戦のメッセージを読み取る向きもあるが、果たしてどうだろう。銃には銃で、という思想に「反戦」を見るのは、少し甘すぎはしないだろうか。
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