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さようなら20世紀の語り部~濫読日記 [濫読日記]

 さようなら20世紀の語り部~濫読日記

「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」(デイヴィッド・ハルバースタム著)     
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  「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」は文藝春秋社。上下2冊、各1900円。初版第1刷は20091015日。
「静かなる戦争」はPHP研究所。上下2冊、各1800円。初版第1刷は2003710日。
「タイガーフォース 人間と戦争の記録」はWAVE出版。1900円。初版第一刷は2007年9月30日。

 棺を蓋いて…

 中国の諺で「棺を蓋いて事定まる」という。生きている人間の姿はあいまいだが、死んだときにその輪郭は明確になる、と言ったのは小林秀雄だった。
 デイヴィッド・ハルバースタム。2007年4月に交通事故で亡くなった。ニューヨーク・タイムズ紙のベトナム特派員からノンフィクションのライターに転じ、多くの著作を残した。ベトナム戦争を直接見聞きした体験から、当時の米政権の「嘘」を暴きだした「ベスト&ブライテスト」は名著として記憶に残る。ベスト&ブライテスト-最良にして最も聡明な人たち。米国の期待を担ったケネディ政権が、なぜ愚かな戦争の泥沼に足を突っ込み、数々の誤謬を隠すにいたったか。
 作家の処女作は、その後の作品のすべての萌芽を内包するという。「ベスト&ブライテスト」は厳密には処女作ではないが、その後の多くの著作はこの名著と共通の土台の上に成り立っているといってもいい。大著「メディアの権力」は、ほぼ同時期の米国ジャーナリズムの興亡を描いた。「静かなる戦争」は「ベトナム」以後、主にクリントンの戦争を描いた作品だ。これらに共通して流れるものは何か。「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」の末尾にある訳者の解説で引かれたコメントが実に的確に言い当てている。「『自分たちにはどうにもできない力によって恐ろしい状況に置かれ、信じられないようなことをするよう要求された普通の人々の生き方を観察する』こと」(ハイぺリオン社ウィル・シュウォルビ編集長)。

 歴史家の顔

 ハルバースタムの一つの視点は、戦争とはハイテクでも何でもなく、地上を這う兵士たちの殺し合いであることをまぎれもない事実として描きだすことだった。そこから軍の上層部や政権の欺瞞を暴きだしていく。しかし、彼の作業はそこにとどまらない。冷戦下の限定的な熱い戦いがどのように行われたかを見つめることで、彼が生きた時代の全体像を構築しようとしたのである。
 ハルバースタムは根っからのジャーナリストであり、20世紀で最高、最良のノンフィクション・ライターだったといってもいい。だが遺作となった「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」を読み終えたとき、彼に与えるべき称号はもっとほかにあるのではないか、と思いはじめていた。「歴史学とは現代と過去との永遠の対話である」と言ったのはE・H・カーだが【注①】、この言葉が最も似合うのはこの作品ではないか。「棺を蓋いて」、あらためて思うのは、ハルバースタムは「戦争の世紀」である20世紀を見つめ続けた歴史家という明確な輪郭を持ちえた人物ではなかったか、ということなのだ【注②】。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

 冷戦の源流

 「朝鮮戦争」を書くことになった動機について「著者あとがき」では、南ベトナム軍軍事顧問との「長い対話」を取り上げている。フレッド・ラッド中佐は朝鮮戦争の経験者でもあった。米国はなぜベトナム戦争に足を突っ込むことになったのか。この疑問を突き詰めた結果、ハルバースタムは朝鮮戦争に行きついたのである。米中ソの微妙なバランス。当事国の誤算の上に展開された戦争。これらの源流が、朝鮮半島にあったのである。毛沢東の冷徹な計算の上に立ち、人的犠牲をいとわぬ中国。火力偏重の米軍。中国の背後で傍観するソ連。米国は参戦しないと読んだソ連。中国は国境を越えて南下することはないと読んだ米国。なによりも「クリスマスには帰れる」と、夏服しか支給しなかった司令部の判断。その後の恐ろしい寒さ。「ベトナム」の構図の原型が、ここにあった。そして膠着した戦争の行方がその後の「冷戦」の構図を決めたのである。
 ハルバースタムはこの著作のエピローグを「なされなくてはならなかった仕事」と名付けた。恐怖と酷寒の朝鮮半島で死んでいった多くの米軍兵士、「Die for a tie」-引き分けるために死んでいった兵士たちへの鎮魂の思いが込められている。しかし、それだけだろうか。米国で「忘れられた戦争」として語られることのなかった戦火をもう一度掘り起こすことは、ハルバースタム自身にとっての「なされなくてはならなかった仕事」ではなかったか。
 

 偏見と傲慢

 朝鮮戦争とはよくも悪しくも、「マッカーサーの戦争」であった。唯我独尊、時代遅れ、アジアへの人種的偏見。そして何よりも、傲慢であり続けたマッカーサーを余すところなく描くことで、世界における米国の立ち姿をハルバースタムは提示したのだと思える。そして忘れてはならない戦慄すべき事実がひとつ。朝鮮半島が持つ地政学的意味は、半世紀以上を経てなお、ほとんど変わっていないのだ。
 ハルバースタムの手法については、いまさら言うまでもないだろう。無名の人々への膨大なインタビューを積み重ねることで、大河小説のごとき物語を紡ぎだしていく。スターリンや毛沢東、トルーマンらが登場するこの著作には、それよりももっと多くの無名兵士の物語がある。そのうえで、歴史に名を残す人間たちも例外なく等身大で描かれる。
 ハルバースタムは亡くなった時、73歳だった。それにしてもこの年齢で自らの作家としての原点に立ち戻り「The last and the best」と呼ばれる著作を残したことは驚嘆に値する。そしてまた、ジャーナリストとしてはこれ以上ない幸福な人生だったのではないか。
 さようなら、ハルバースタム。20世紀の偉大な語り部。

人間の記録 

 ハルバースタムの著作を読むたび、真摯に戦争と向き合った他のジャーナリストのいくつかの著作が頭をよぎる。「ブッシュの戦争」や「司令官たち」を書いたボブ・ウッドワードの仕事も特筆していい。だが彼は、視座の高さにおいてハルバースタムに及ばない。むしろ彼の関心事はホワイトハウスのインサイドストーリーにあるようだ。彼の最初の大仕事である「大統領の陰謀」の枠から脱出できないでいるのかもしれない。2004年度のピュリッツアー賞を得た「タイガーフォース 人間と戦争の記録」は、米オハイオ州の無名の日刊紙(少なくとも私は知らなかった)が、ある調査記録をもとにベトナム戦争の実態を暴きだした労作である。戦争が(戦争の敵対勢力が、ではなく戦争そのものが)人間をどこまで破壊するか、についての貴重な記録である。
 
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 【注①】カーの言葉について、訳者は以下のように紹介している。「過去の光に照らして現在について学ぶことは、現在の光に照らして過去について学ぶことでもある。歴史の役割は両者の相互関係を通じて過去と現在の両方に対するより深い理解を促すことでもある」(「歴史とは何か」から)
 【注②】訳者の解説によると、ハルバースタム自身つぎのように語っている。「私の仕事は最近はジャーナリストというよりも歴史家に近い」(コロンビア大学で)      
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