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「政党とは何か」を考えてみよう~濫読日記 [濫読日記]

「政党とは何か」を考えてみよう~濫読日記
「二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ」(吉田徹著)

二大政党制批判論.jpg  

★★★☆☆

光文社新書。740円(税別)。初版第1刷は20091020日。

筆者は1975年生まれ。北海道大学法学研究科准教授。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。 

 

 

 

 







 1990年代に小選挙区比例代表制が導入され、ようやくことし本格的な政権交代があった。民主と自民による二大政党制時代が始まるのだろうか。民意を反映した、強力な政権の誕生は可能だろうか。著者は多面的に疑問を投げかける。
 この書は「政党とはどのような存在なのか」という政党論から始まる。これは多少、意外ではあったがまっとうな展開であろうと思われる。考えてみれば、政党のありようが正面から論じられたことがあるだろうか。冷戦下では体制選択が政党間の最も大きなテーマであった。では今、民意実現をめざして政党はどのような活動をすべきか。選挙制度が変われば、政党のありようも変わると思いこんではいなかったか。
 「政権交代論」(山口二郎著)にもあるが、政党(Party)の語源は部分(Part)である。本来「部分」であるべき政党が全体を担おうとすれば全体主義につながる恐れが生じる。ここに政権交代が必要とされる根拠が生まれる【注①】。
 そのうえで著者は政党の構成要件を「政策」「公職」「票」であると定義づけ、マーケットにおける企業と消費者の関係になぞらえる。いわば政党活動はゲーム性を帯びてくる。この論には若干の違和感がないわけではない。企業活動は寡占的なシェアが生じないことが理想であるが、政党活動では留保つきの寡占状況が生じないと決定力のある政府が生まれない。著者の論に従えば比例代表制がベターな制度と言えるかもしれないが、民意を正確に反映すればするほど、多数政党は出現しないだろう。ヨーロッパの多くの国に見られるように比例代表→少数政党の乱立→連立政権―の構図が、筆者のアナロジーからは生まれてくるのではないか。
 小選挙区制は実はこの点、つまり政権の決定力に重点を置いた制度である。その半面、得票率と議席数で大きなバイアスがかかること(選挙の劇場化が生まれる)、半数に近い死に票が生まれ、多数の敵をつくってしまう―などの弊害がある。多数党の二極化→政権交代の実現→強力な政権―が、この制度の下で生まれるはずだった。しかし、実際にはそうはならなかった。
 一つの理由は、小選挙区制度の弊害を見越し、比例代表並立制としたことである。少数党が生き残る余地を残したため、連立政権の可能性が出てきた(今日の鳩山政権を見れば明らかだ)。これは間違った選択であったか。米英が取っている単純小選挙区制の弊害とは少数者(政治的マイノリティー)の排除である。この結果、少数者は選挙によらない政治活動(例えば非合法活動)に走らざるを得なくなる。その意味では、日本の比例代表並立制は「ベター」な選択だったろう。日本の選挙制度改革論議ではかつて小選挙区比例代表併用制も議論されたことがある。しかしこれは、制度名としては一文字違うだけだが「並立制」の対極にあると言える。
 ドイツで採用されているが、基本は比例代表制である。まず小選挙区制で選挙を行い、得票数に応じて議席を比例配分する。獲得議席に応じて小選挙区の当選者をはめていき、当選者が足りなくなれば各党の名簿登載順で当選が決まる。議席より当選者が多い場合は超過議席が生じるという欠点がある。何より比例代表制なので、多数党が出現しにくい。
 なぜ、少数党による連立政権ではいけないのか。政党間の組み合わせでどのような政権ができるかが、有権者に見えないからだ。連立は専門店による商店街のようなものだが、二大政党制は百貨店の選択のようなものになる。有権者は総合的なブランドを選ぶわけで、どのような政治がおこなわれるかが見えやすい。
 日本の中選挙区制は世界的には珍しい存在だったが、なかなか味わいのある制度であった。最大で定数5から6に設定されたこの制度では、同じ数だけ与党の派閥ができ、政党ができる。派閥間で政権を競いあい、擬似的な政権交代を起こす、というのが自民党政治だった。しかし派閥抗争は政治資金の地下水脈化をもたらし、複数の与党候補者による同一選挙区での選挙活動は政策競争より有権者へのサービス競争を生む、と言われてきた。しかし、これらは政党の再定義の徹底と政治資金の透明化によって解消できる弊害ではなかったか。
 山口は、選挙制度改革をすれば政党政治がストレートに変わるという見通しに疑問を呈し、反省の弁を述べている【注②】。座談会に同席した佐々木毅、北岡伸一は山口の意見に賛成していないが、ここは山口の意見を取り入れてもいいのではないか。いま必要なのは選挙制度改革より政党論の確立ではないかと思うのだ。だから「民主主義や選挙制度をどのように捉え、どうデザインするのかは、民主主義や政党政治についてのコンセプトがどのようなものであるべきか、という政治哲学の問題に関わってくることになる」という著者の意見に全面的に賛成する。平たく言えば、われわれは選挙制度改革に当たってどれだけの政治哲学の裏打ちを持ちえたのだろうか、という疑問である。
 そのうえで「政治が『何を実現するか』ではなく、『政権を取るかどうか』という、ある種のゲームへと変化していることを意味する」という政治の現状への見方と、直接民主主主義や政治的マイノリティーへの目配りを含めて「デモクラシーの質を問うべきだ」という著者の主張はよく分かる。

 【注①】「とりあえず部分に過ぎないものに全体の運営を任せるわけである。最初から全体を僭称するものが国家権力をすべて独占するのは全体主義に他ならない」(政権交代論)
 【注②】論座2000年6月号。「二大政党制批判論」からの孫引き。  
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