SSブログ

野中の強靭さと辛の深さ~濫読日記 [濫読日記]

 野中の強靭さと辛の深さ~濫読日記

 
 「差別と日本人」(野中広務・辛淑玉著)
 差別と日本人.jpg 

★★★☆☆


 角川書店。724円(税別)。初版第1刷は2009610日。
 野中広務は1925年、京都府生まれ。町議、町長、府議、副知事を経て83年、衆議院議員初当選。2000年に自民党幹事長、03年に議員引退。
 
辛淑玉は1959年、東京都生まれ。人材育成コンサルタント。あらゆるメディアで弱者支援のための言論活動を展開。   

   












 自民党の幹事長まで登りつめた政治家・野中広務。例えば小沢一郎が乱世の政治家、などと言われるが、本当の「乱世の政治家」はこの野中ではなかったか。修羅場で必ず頼りになる男。その心根はどんなふうに養われたか。野中は京都府の副知事を務めていたとき、自らの出自を明らかにしている。被差別部落の出身者という重い荷物を背負い、保守政治家としての階段を上がっていった。辛淑玉はあるとき日本名を捨て、朝鮮名で生きることを決意した。彼女もまた「在日」という重い荷を背負っている。二人が「差別」について語り合った。
 差別はまず、相手を「劣ったもの」と「みなす」ことから始まる。差別の明瞭な根拠はない。そして「差別」は、する側の快楽につながる。このことを辛は明瞭に言い当てている。
 「差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。(略)そこにはある種の享楽が働いているのだ。それは相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置でもあるから、不平等な社会で差別は横行する。そして、あたかも問題があるのは差別される側であるかのように人々の意識に根付き、蓄積されていく」
 「他方、差別される側は、差別の理由を求めてさまよう」
 このことを、野中もまた実体験を交えて語っている。
 大阪鉄道局に勤めていたころ。何かにつけて世話をしていた地元の後輩の、こんな言葉を偶然、耳にする。
 「野中さんは大阪におったら飛ぶ鳥落とす勢いだけど、地元に帰ったら部落の人だ」
 そのまま下宿に帰った野中は「四日間ぐらい僕は七転八倒したですよ」。
 差別からの解放は、一般に「モノ」「カネ」の改善と、意識面での解放との両面で語られる。だが野中はあまり「解放理念」を語っていない。その点も辛はきちんと指摘している。
 「私の友人の一人はそのことについて、『彼は自民党だったから、良質の運動家は近づかなかったのではないか。だから、具体的な差別の現場で闘っている人との接点が少なかったのではないだろうか』と語った。友人の指摘は、自分自身の体験に照らしてもうなづけるものだった」
 辛が言うように、保守政治家として歩んだ野中の足跡は、かなり珍しい。しかし、孤立していたわけではない。
 解放理念の構築では第一人者でもある小森龍邦。解放同盟の書記長を務め、社会党の衆院議員でもあった。辛は野中との思い出を聞くために小森と会っている。
 「野中のことを書くのか?」「悪く書かんでくれ」「野中の中には、腹の中には『差別』(の歴史)がしっかり詰まっていて、野中は、ちゃんと分かっている」
 野中は黙って「声なき声」に応えようとしたのだ。そして政治家としての階段を上った。小森はきちんと、そこを見ていた。政治家としては両極にある二人が共通する思いを抱えている。そのことに「差別」が持つ根深さと重さをみる思いがする。
 「差別」に対抗する辛の深さ、野中の精神的な強靭さが際立つ一冊である。             


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

深山あかね

こんにちは。
深山あかねと申します。
初めてコメントさせていただきます。
私も、きょう『差別と日本人』を読み終わりました。
大変衝撃的な本でした。
私も、小森龍那についてのところでは目が止まりました。
小森龍那さんの話を広島の見真講堂で聞いたことがあります。
大学から処分を受けた江嶋修作という知り合いの大学教授の地位保全を求める裁判の経過報告集会に行ったときのことです。
たいした人だと思ったことを思い出しました。
野中さんも立派な人だと思いました。できなかったことへの反省の弁にも誠実さが感じられました。
by 深山あかね (2009-12-18 18:06) 

asa

深山あかねさん、ありがとうございました。

by asa (2009-12-18 18:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0