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憂国の情を秘めた戦後日本への遺書~濫読日記 [濫読日記]

憂国の情を秘めた戦後日本への遺書~濫読日記 

「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス-核密約の真実」(若泉敬著)

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★★★★★

文藝春秋社。1800円。初版第1刷は20091030日。1994年5月に出版された書の軽装版。著者は京都産業大学教授。専攻は国際政治学。1930年生まれ、1996年没。  













 この書をどのように評すればいいのか。途方に暮れる思いでいる。書かれた内容とその裏にある情とが、あまりにも重いためだ。
 著者は少壮の国際政治学者だった。佐藤栄作政権下、福田赳夫・自民党幹事長の命を受けて日米交渉の密使として奔走する。相手はジョンソン大統領の特別補佐官ウォルト・W・ロストウだった。後に交渉相手はニクソン大統領の特別補佐官ヘンリー・キッシンジャーに代わる。そこで協議されたのは沖縄返還交渉だった。
 「核抜き・本土並み」にこだわる佐藤首相。そうでなければ沖縄をはじめ国民世論が許さないだろう。しかし米側は「アメリカの西太平洋および東アジアにおける軍事戦略上の〝重要な要石(キーストーン)〟となった」沖縄への有事の際の核持ち込みに固執する。合意は不可能とも思えた交渉。しかし「1972年返還」は実現した。そこには悪魔の取引があったのだ。当事者であった若泉氏はすべてを知っている。その一切を墓場まで持って行くべきか。しかし彼はその道は取らず、自裁と引き換えにすべてを明らかにする道を選んだのである。
 名文である。明晰であり、冷徹だ。外交資料にとどまらず一級のノンフィクションであり、歴史書である。しかし、そう評してみても空しい。背後には熱い憂国の情がひそんでいるからだ。そのためにこの書は、日米の多くの兵士の霊の上に築かれながら愚者の楽園と化した戦後日本への遺書といった色彩を帯びる。タイトルは陸奥宗光の回想録「蹇蹇録」からとった。
 巻頭には「鎮魂献詞」と題して「日米沖縄攻防戦において散華した彼我二十数万柱の御霊にこの拙著を捧げる」とある。実は、がんを宣告され余命半年とされた若泉氏は、硫黄島に向かっている。この書の英語版には日本語版とは別の序文が添えられ、そこには夏の夜半にたった一度だけ開花する月下美人に託した若泉氏の心情が綴られている【注①】。そこで彼は、やはり南海の孤島の日米戦で命を落とした多くの若い兵士の霊と静謐のうちの対話を果たしていたのだ。
 沖縄返還時の外務省アメリカ局長だった吉野文六氏が121日、東京地裁で日米密約文書の存在を公式に認めた。だがこの事実はすでに、若泉氏の著書で余すところなく明らかになっている。
 福田幹事長からの要請は1967年9月だったという。隠密裏にワシントンに飛ぶ。ロストウの反応。「核についての日本人全体の意識の成熟がどのようなペースであるか疑問だ。この点の見通しが不明確なまま、核をすべて沖縄から外せ、と言われるのでは困る」「一方的なアメリカの保護を受けるだけでなく、日本のことは第一義的に自分でおやりになってみれば、いかに重大かつ困難なものであるかがお分かりになるであろう」。これに対して若泉氏は「ほとんど反論のしようがなかった」と振り返る。だが、その年10月の日米首脳会談でマクナマラ国防長官は「日本側の愁眉を開かしめる」重大な示唆をする。「これらの島はいずれ返還されることになっている」と発言したのだ。ここから「長い物語」【注②】が始まる。
 交渉相手はロストウからキッシンジャーに代わる。「ところで、いま、米日間の懸案はなんだろうか」「(決まっているではないか、という調子で)沖縄ですよ」「オキナワ…なぜそれが問題なのだ」(略)「沖縄を返したらどうなるのだろうか。日本もそのうち核武装をするというのか」
 日米の意識は彼我のかなたにあったといってもよい。しかし佐藤首相は1969年、国会答弁で「ルビコンの川」を渡る。「沖縄が帰ってくれば日本の憲法も、安保条約もそのまま適用になる」と答えてしまったのだ。ここからガラス細工の論理が組み立てられていく。
 返還後の沖縄には日米安保条約が適用され、条約に基づく事前協議条項も当然適用される、という論理である。ここからの若泉-キッシンジャー交渉は章を追うごとに緊迫感を増していく。ちょうど日米繊維交渉が日米間の懸案として浮上し始めたころでもあった。
 キ「繊維をなんとかしてくれ。総理大臣に伝えてくれ」
 若「(核は)返還時までに撤去してもらいたい」
 若「重大な緊急事態が起きた場合に備えて、ある程度相談に応じてもいい。そうした場合の事前協議について、たとえばプライベートで明確な了解を首相と大統領の間で交わしておくというのも一案だろう」
 キ「最終的にはニクソン大統領と佐藤首相の間で直接決めるということでなければならない」
 そのあと、若泉氏はこう書く。「重大なコミットメントの一歩を踏み出したことには、自分自身もほとんど気が付いていなかった」
 196911月、ワシントンであった日米首脳会談の議事録。大統領「緊急事態が生じた際には(略)核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、および沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」。首相「遅滞なくそれらの必要性を満たすであろう」【注③】
 日米安保条約と非核三原則に照らせば有事の際の沖縄核持ち込みは事前協議の対象とされたうえで日本側が「ノー」と答えるべきものだが、会談議事録では日本側は「イエス」と答える余地があると、佐藤首相は答えているのだ。こうして繊維交渉での日本側大幅譲歩と合わせ、沖縄返還が実現する。この書の最後を、若泉氏は次のように締めくくっている。
 「明暗の昭和史を一身に体現される陛下の訥々たる口調のお言葉に耳を傾けながら、そして沖縄百万県民の過ぎ来し方に万感の念(おも)いを馳せながら、私は、涙がわが頬を洗うにまかせた」
 NHKのワシントン支局長を務め、現在はフリーのライターである手嶋竜一氏の「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」【注④】は、出会った人たちの人物ルポルタージュであるが、エピローグ「月下美人」で若泉氏を取り上げている。これもまた、戦後史を駆け抜けた若泉氏の心情に思いを寄せた名文だ。合わせて読むことを勧めたい。
 

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「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」 

【注①】「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」(手嶋竜一著)から。
【注②】若泉氏は書の中で「物語」という言葉を頻繁に使っている。
【注③】若泉氏の私訳。
【注④】講談社、1700円。初版第一刷は20084月。手嶋氏は「他策ナカリシヲ…」で「新装版に寄せて」を書いている。 

         


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asa

非核三原則はなんであり、核の傘によって生きる国の生きざまとはなんであるかが今問われていると思います。その文脈で核の密約も、ようやく全貌が明らかになりつつあります。その原点を探るため、必読の書だと思っています。ぜひ読んでみてください。
by asa (2009-12-08 09:10) 

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