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見えないこの国のかたち [社会時評]


 見えないこの国のかたち

 
*議論がない国会
*普天間の行方
*事業仕分けで仕分けられないもの
*国のかたちをどうする

 
 政権交代後、初めて開かれた国会が124日に幕を閉じた。滑り出しは期待感もあったが、終わってみれば議論に乏しい国会だった。目に付いたのは政権与党の、数をたのみにした強行採決の姿だけだった。そして国会が終わって見えてきたもの。それは見えない国のかたちではなかったか。
 その1。沖縄・米軍普天間飛行場の移設問題。とうとう鳩山首相は年内決着を断念した。これは何を意味するか。1月には辺野古のキャンプシュワブがある名護市長選がある。国家レベルで判断すべき問題といっても、地元住民の意向は間違いなく政府の判断に影を落とす。とすれば政府が、日米現行案通りか現行案備修正案を市長選前に表明することはもはや考えられない。地元の反対論に、火に油を注ぐだけだからだ。
 では、市長選後はどうか。沖縄県民にとっては、政権交代で基地移設問題が蒸し返されたことで「パンドラの箱」が開けられたのである。県外、もしくは国外移転案への期待に再び火が付けられてしまった。従って市長選で「現行案やむなし」の結果が出ることなど、もうないだろう。こうした空気を受けて容認派の現職が「辺野古移転」で旗幟鮮明にすることも考えにくい。
 では参院選前か。社民党の福島瑞穂党首は3日、辺野古移設なら連立離脱も辞さないとの考えを示した。参院選直前に、わざわざ連立にひびが入るような決断を鳩山政権がするとはとても思えない。首相が普天間問題の年内決着を断念したことの意味は、参院選後の各政党の消長を見ての判断になった、ということではないか。分かりやすく言えば、社民党を切っても連立政権が維持できるなら、辺野古案も再び視野に入ってくる、ということだ。
 こうしてみると、参院選前に問題の決着を図る道筋は、国外(グアム)移転しかあり得ないのではないか。ただしその可能性は限りなく低い。
 だがこれらは、日米関係と連立政権の維持を両にらみしてのシナリオだ。例えば、沖縄にあれほどの基地と海兵隊員が必要なのか。米ソの冷戦が終わって20年たついま、在日米軍はどこの国の脅威に対抗しているのか。軍事的プレゼンスもしくは抑止力はどこに向けられているのか。考えてみれば近年の戦争、例えば湾岸戦争もイラク戦争もアフガン戦争も、攻撃をされて始まった戦争ではなく米国から仕掛けたものである。
 1972年の沖縄返還で日米間に密約文書が存在したことを当時の外務省局長が1日、公式に認めた。これは政権交代で歴史の歯車が回っている証と言えるのではないか。鳩山政権は「対等の日米関係」をうたっている。今こそ日米関係のあるべき姿を示すべきではないか。
 その2。事業仕分け。政治ショーとも揶揄されたが、予算の仕組み、からくりを暴く情報公開の側面でいえばおおいに意味ある取り組みだった。ただ一つ気になったのは「コストパフォーマンスですべてを切ってしまっていいのか」ということだ。この象徴的な事例が科学技術予算カットに対するノーベル賞受賞者らによる抗議の会見だった。
 そもそも「事業仕分け」と称する仕組みがどのように出来上がってきたかを知らないが、側聞するところでは地方自治体で成果を上げた制度らしい。それはよく分かる。地方自治体にとって予算の執行とは住民へのサービスに軸足があるからだ。サービスが住民の目線で効率的に行われること。このことのチェックに「事業仕分け」という仕組みはすんなりなじむことができる。
 国にとってはどうか。実は国の予算は、私たちの住む「日本」のかたちを整える役割がある。外交、防衛、教育の根幹、社会保障、富の再配分の基本システムの確立。これらは国の仕事である。逆にいえば、こうした国家的ビジョンから外れたものは、できるだけ地方に移管すればいい。ここに地方主権を考える糸口がある。
 地方予算で効果があった事業仕分けをそのまま国の予算に当てはめたところに「ぎくしゃく」が生まれる余地があったのではないか。だから科学技術や外交、防衛の分野で摩擦があったのではないか。では、どうすればいいか。触媒、ないしは接着剤が必要だったのだ。その役割こそ国家戦略室が担うべきだった。菅直人室長は何をしていたのかなあ。
 「普天間」も「予算」も、必要なのは「国のかたち」のデザインをどうする、といった骨太の構想力だと思う。このままでは民主党政権は何も決められない愚図政権と言われるだろう。  

 


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